※「自殺」「死」などについての記事です。そういった内容にセンシティブな方は読まないでください。

 

 

 

みなさま。

 

「CLUB 27」

というのをご存知でしょうか。

 

邦楽ファンのみんなにはあまり馴染みのない言葉かもしれないが、

洋楽ロックファンの間では有名な言葉であります。

 

簡単に言うと、

27歳で死んだ偉大なロックアーティストが多すぎる、ということ。

 

あんま詳しくない人でも名前聞いたことはあるだろうというところで挙げると

 NIRVANAのカートコバーン

 ジミヘンことジミヘンドリクス

 The Rolling Stonesのブライアンジョーンズ

などなど。

 

渋いとこだと

 ブルースマンのロバートジョンソン

 ドアーズのジムモリソン

 ジャニスジョプリン

 最近だとエイミーワインハウス

など。

 

まぁ、ぶっちゃけ偶然がほとんどだと思う。

でも、な〜んかこう、ロックアーティストにとって「27歳」というのは鬼門、である。

 

 

斯く言う俺も

NIRVANAのカートコバーンに陶酔していたのです

 

NIRVANAとはあれです、マンウィズがカバーしてる「Smells Like Teen Spirit」の原曲の人たちです。

 

さりげなくSiMも「Something In The Way」カバーしてるのだ。

 

 

・・・まぁそんなことはいいんだけど。

 

高校二年生のとき、先輩のバンドでGt弾いてくれ、と頼まれ「Rape me」をコピーしたのが出会いだった。

 

 

「レイプしてくれ」という曲名も、

「子宮の中」というアルバム名も、

27歳でショットガンで頭ぶち抜いて死んだカートコバーンも、

まじで狂ってると思った。(笑)

 

でも聞けば聞くほどのめり込んでいき、

でっかいポスター部屋に貼って、髪型も服も真似して、ドラムセットにダイブして、グランジ(彼らの音楽ジャンル)バンドをやった。

 

だから、死ぬ気で音楽やって、25歳までに結果が出せなかったら

ロックアーティストらしく27歳で死のう、と本気で思っていた。

 

17歳から、25歳。

ちょうど、SEEDS OF HOPEを出す2011年まで。

 

ところが、その年に東日本大震災が起きたことにより、残された命を自ら断つなんて、と翻意。さらに、それにより根本的な考え方(アーティストとしてのメッセージ)にも変化が生じ、歌詞を書き直して制作したSEEDS OF HOPEがヒットしたことで俺は「長生きしてかっこいい曲いっぱい作ろう!」というモードに移行したのである。

 

 ※この辺は前にブログで書いたことあると思う

 

 

 

さて。

 

本題は「CLUB 27」に限定した話ではなくロックアーティストは短命、というところである。

 

レゲエ×ロックという音楽をやる上でSiMも多大な影響を受けているSUBLIME。ここもvoのブラッドは28歳で亡くなっている。

オジーオズボーンのランディローズは25歳。

スノットのリンは30歳。

日本でも、尾崎豊から、Hide、フジファブリックの志村さん、フィッシュマンズの佐藤さんなどなど、若くして亡くなったアーティストは数知れず。俺ら界隈でも、お会いしたことはなかったがNOBの鎌田さんもそうだし、PTPのKくんもそうだ。

 

 

当然、事故、病死、自殺、など原因はそれぞれ違うわけだけれど

 

 

こうして他人のブログに名前が挙がってくるレベルで音楽をやっている、ということはある程度似たような感覚の中で生きてきたのではないかと想像できる。

 

ロックアーティストはやはり根本的な生活、からして普通の職業とは全く違う。

ライブがない日は、例えば朝から酒飲んで、ゲームして、暇な時に曲書いて、というぐうたらな生活をしてもいいわけだし

↑おい!俺やんけ

ライブがなくても、午前中に起きてジョギングして、ジムに通って体鍛えて、カロリー計算した食事とって、というアスリートチックな生活をしてる人もいるし

 

ライブ以外の日は普通に働いている人もいるし

 

要は、「毎日が自由」なのである。

 

自由、というと聞こえはいいが、「自分との戦い」の毎日とも言える。

 

怠けようと思えばいくらでも怠けられる。

でもその中で、いい曲を書き、ハイクオリティなライブをしなければすぐに食いっぱぐれてしまう。

 

かといって厄介なのが、

「ハイクオリティなライブ=満足いくライブとは限らない」

ところで。

 

歌をうまく唄えたから、今日は気持ちよかった!って日もあれば

歌は荒かったけど、お客さんとの一体感がすごかった!って日も

お客さんは置いてきぼりだったけど、全部出し切れた!って日も

その日によってこちら側の満足度というのはまちまちだし、感じるポイントもバラバラなのだ。

 

だからこそ、ロックだし。だからこそ、バンドなのだ。コンサートではなく、ライブの良さはそこにある。単に「生演奏」というだけならメンバーが違ったってできる。でも、MAHと、SHOW-HATE、SIN、 GODRiが揃って演奏するからこそできるのが、バンドのライブ、だ。

 

あとは、「売れる」ということも難しい。

SiMだって別に、突き抜けて売れているわけではないが、ある程度結果も出し、一人前にバンドで食っていけている。

 

売れるというのは知名度が上がるということ、

知名度が上がるというのは責任が生まれる、ということ。

好き勝手歌い、発信してきたことが、今までは考えもしなかったような人たちに届くわけで、自制、自重すべきことも増えてくる。

(当然それを気にするかどうかはアーティスト次第だが)

 

それを「丸くなっちまった」と簡単に吐き捨てる人もいるが、ハッキリ言ってそういう葛藤はそういう立場になった人間にしかわからない。

 

 

みなさん。

 

 

コップに水を汲むとき、蛇口を100%全開にするだろうか?

全開にしたら、勢いでコップから水が跳ね、服は濡れるし、飛び散った水を拭かなきゃいけない。ほとんどの人は、無意識に学習し30%ほどしか蛇口をひねらないだろう。

 

同じように、ただ思いついた言葉を垂れ流すだけでは、意図しないところで弊害が生まれてくる。だから、浮かんだ言葉と一度向き合い、本当にこの言葉を言うべきか考え、精査、取捨する。

 

このブログだって、一件の記事を書くのに長い時は数週間、普通の記事でも平均5〜6時間かけて書いている。

 

こうして売れて、責任を感じることで、自分がアーティストとしてメッセージを発信する上で一番バランスのいいパーセンテージを学んでいく。言ってみれば発信者として少しずつ成熟していっている、ということなのだと思う。

 

けどこれもあくまでアーティストとしての俺の考えで、

リスナーとしての俺はいまだに、その100%垂れ流し状態がかっこいいんだ!と確かに思っている。

(だから常にアーティスト/リスナーの立場の狭間で葛藤がある)

 

その中で人によっては「売れてやりたいことをやれなくなった」という答えに達してしまう場合があって、もちろん推測の域を出ない見解ではあるが、カートコバーンの自殺なんかはその一例だと思う。

最悪の結末まではいかなくとも、脱退、活動の休止や、解散なんかの原因になることがほとんどである。

 

 

と、なってくると。

 

側から見てどんなに商業的に成功していようが、完璧な演奏をしていようが、ステージに立っている側の感覚は本人にしかわからない。

ということは、ステージを降りた後の生活、その中で生じる様々な葛藤、そんなの誰にも理解できるはずがない。

 

 

そんなことはわかっている。

 

 

・・・でも、自殺は止めてくれ。

 

 

最近、二人の偉大なロックシンガーの自殺という衝撃的なニュースが続いた。

 

一人目はクリスコーネル。

Soundgarden、AUDIOSLAVEなどのボーカルで、人間の域を超えた声の持ち主だった。

気だるい感じで、飄々と、4オクターブを歌い上げる人。(例えば一番低いドの音からはじめて、ドレミファソラシドレミファソラシドレミファソラシドレミファソラシまで歌えるってこと。)

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてつい先日。

LINKIN PARKのボーカリスト、チェスターベニントンも。

こちらも、意味不明な領域の声の持ち主である。

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに二人が共演するこの動画、凄まじい。。

 

 

 

 

二人とも、とてつもなく影響を受けたボーカリストだし。

今後一生聴いていくと思う。

でも、どんなに偉大なアーティストであったとしても、最期が自殺、というのは非常に残念である。

 

 

SiMの作品にも携わってくれた、信頼する音楽ライターの増田さんはクリスコーネルの訃報時(自殺と確定する前)こう書いていた。

 

 

本当に、その通りである。

「自殺した人」というフィルターが無意識に発動し、これまでの全てのメッセージが、後ろ向きに、ネガティヴに聴こえてしまう。

 

アーティストにはいくつかのタイプがあって、

歌詞に日々の感情、葛藤をわかりやすい表現で投影するタイプ

歌詞に日々の感情、葛藤を抽象的な表現で投影するタイプ

歌詞と個人的思想は切り離しているタイプ

と大きく3タイプに別れるが

 

本人が仮に3番目の、自分の感情とは無関係のところで(イマジネーションで)歌詞を書くタイプだったとしても、「自殺した人」になった時点で、2番目のタイプと見なされ「あぁ、やっぱこの部分の歌詞とか完全に病んでるもんな」とか、そういう見方をされてしまう。

 

非常にポジティヴな意味合いで書いた部分も、もともと無い裏、まで邪推されてしまう。

 

これって、アーティストとしてマイナスではないだろうか?

もちろん、プラスマイナスを超えたところまできてしまったから、自殺という結末にたどり着いてしまったのだとは思うけれど。結果的に無意味な推論を呼び、「自分の作品を穢す」ことになる。

 

さらに残されたメンバー、家族、友人、ファンの気持ちはどこにもぶつけようがない。

 

クリスコーネルはSoundgardenでのライブ直後に、

チェスターも来月からLINKIN PARKのツアー、亡くなった当日も何らかの撮影の予定だったそう。

※ちなみに、チェスターはクリスコーネルの葬儀で「ハレルヤ」を献歌として捧げていて、彼の息子の代父でもあったそうだ。亡くなったのはクリスコーネルの誕生日だった。これらもまた、結果的に様々な邪推を招いている。

 

自分が近しい間柄だったら、どう思うだろう。。。

 

「自分の何がいけなかったのか」

「何をしてあげられなかったのか」

「あの時、こう言っておけば」

「昨日の夜、メールのひとつでも送っておくべきだったか」

 

そんなことを、答えの出ないまま生涯自問自答を繰り返すかもしれない。

 

 

 

 

 

別に自殺を、真っ向から否定するわけではない。

 

いろんな事情があるのだろうし、俺はそれを知らないし、何を言う立場にもない。

 

でも、やはり、「その後」のことを考えて欲しい。

 

俺は、

俺たちは、

LINKIN PARKを聴くたび、

SoundgardenやAUDIOSLAVEを聴くたび、

暗い、悲しい気持ちになりたくなかった。

 

今まで通り、アホみたいな顔して

「やっぱかっけ〜なぁ〜♪」って思いながら純粋に彼らの楽曲を聴き続けたかった。

 

 

 

ロックアーティストに限ったことではない。

 

俺はこのブログを読んでいる人のことなんて何も知らない。

 

顔も名前もわからない。事情もしらない。

 

でも君の写真を見るたび、

家族や、友人を暗い、悲しい気持ちにさせるようなことはしてはダメだ。

 

「この時楽しかったな〜♪そうだ、連絡しよう♪」

 

いつまでもそう思わせていて欲しい。

 

 

 

例えば万が一SiMのファンの子が何らかの原因で自殺したと聞いたら、どんなに俺たちとは関係ない事情があったとわかってはいても

「どの曲の歌詞がいけなかったのか?」

「あの日のMCのせいか?ツイートのせいか?ブログか?」

と一生自問自答し続けるし、もしかしたら自分の作ってきた音楽を嫌悪し、アーティストとして発信することを恐れ、音楽から身を引くことになるかもしれない。

 

もしそうなった、つまり、ファンが自殺して、それが何らかの形で俺の耳に入ったとしても、

ハッキリ言っておくが「そうか・・・SiMのファンの子が・・・一曲捧げよう・・・」と君のために曲を書くことなど、決してない。断言する。

天変地異が起ころうが槍の雨が降ろうが、だ。

 

むしろ、君を恨むかもしれない。

 

・・・嫌ですよ俺は。そんなの。

 

俺は俺の作ってきた音楽に誇りを持ち続けたいし。

それを愛してくれたファンをどんな理由でも恨みたくない。

 

だから、生きててください。

 

これからも恐れずに音楽やっていきたいから。

 

 

ロックアーティストは短命だ、というのであれば、

そんな中で長生きしたやべぇヤツ、になりたいです。

ゴリゴリTATTOO入った爺さん、になりたいです。

 

「メンバーもファンも長生き!?不思議なバンド!SiM!」

って雑誌で特集組まれる方がいいです。

 

 

 

P.S.

Iggy Popって、知ってる?

生ける伝説のパンクロッカー!

現在、70歳!

 

 

かっけ〜爺さんだぜ!!!

 

 

 

 

 

 

以上でございます〜

 

 

 

 

 

 

亡くなられた全ての方々のご冥福をお祈り致します。

本記事に自殺をした人々や、特定の個人を揶揄するなどの意図は一切ありません。個人的な「死」への解釈について書いたものであり内容について議論を行うつもりもありません。悪しからず。