本日も小難しい内容ですので
そういうのが嫌だって人は見なくて大丈夫です★













さて。

ちょっと前のブログと内容が被る部分もありますが

俺は高校に入って、軽音楽部でバンドをはじめました

生まれて初めての『バンド活動』ってやつが嬉しくて嬉しくて

5時間目の途中くらいから部活だけやりに登校していた時もあった(笑)

基本は電車通学だったけど、気分によってはベースギターを背負ってチャリンコで行く事もあった。



その、通学路の途中にあるのが今いるスタジオ。



本当にもう、ちょっと歩けば昔通っていた学校。

スタジオの目の前の道がまさにあの時の通学路。



あの時、ベースを担いでチャリンコを走らせていた俺は
MDウォークマンを聞きながら『今日はあの曲練習しよう』とか、
『あ~このベースマジやべぇ』とかそんなことばかり考えていた


まさか自分がこうやって音楽で飯を食って、
数年後、通学路の横にある大きなスタジオで一ヶ月まるまるこもりっきりで
レコーディングさせてもらえる時がくるなんて
夢のまた夢っていうかむしろ想像の範囲外だったかもしれない。




それに、俺たちが作る音楽を待ってくれている人たちまでいる。



俺は今、幸せだ。









そして幸せな時は、必ず感謝をしなきゃいけない。



感謝をしないで幸せを自分の中に溜め込むことばかり考えていると

いつしか幸せでいっぱいになってしまって

その有り難みも忘れてしまうし

最終的には幸せそのものが毒となってしまう

だから、幸せを感じたら、その分感謝をしてすぐに幸せを誰かに分け与える

常に幸せが足りていない状態を保たなきゃいけない




・・・と、分かっていてもなかなかできないもんだ。

現に俺はありがとうって言葉が苦手だ。
MCでも言うけど、言葉は言葉にすればするほどに薄っぺらくなるものだと思う
ありがとうって言えば言うほど、嘘くさくなっていくものだ

だから、感謝の気持ちは言葉よりも行動で表すのが1番だと思う
(もちろん言葉でも伝えるべきで、要は頻度の問題)


でも、俺は行動で表すのも下手くそで(笑

いつも人に嫌な感じを与えてしまう



簡単に言えば、人付き合いが下手くそな人間だ
うまい嘘をつけないから、すぐに表情に出てしまうし
ムカつくこと言われたらムカつくし
違うと思った事は違うでしょって言っちゃう。

面倒くさいと思ったことは一切やらないし

マジで腐ってると思う。


むずかしいね。





最近、受験とか試験だから応援メッセージをくれっていうファンの子がよくいる。

気持ちはすごくよくわかるし、
俺も『うん、がんばってね!』って一言言えば済む話しなんだけど
ここでまた俺のダメな部分が出てきてしまってマジレスしたくなってしまうのだ。

俺は、エリッククラプトンに憧れて小さい頃からずっと歌を唄う人になりたいって思ってた。

小学校ではスポーツに熱中して一時忘れかけていたけど、
中学でベースギターとハイスタに出会って再熱した。

歌詞を書くために、英語以外の教科書は開かなかった。

うちは塾へ行きたいって言い出せるような経済状況じゃなかったから、
朝から晩までひたすら英語の辞書とにらめっこしてた。
発音は洋楽のCDとか映画とかをひたすら真似して、独学で間違いだらけの英詞を書いていた。
中学~高校辞めるまでの約6年間、ずっと。

周りの友達は、基本的に普通にJ-POPを聞いていたし
たまにいる洋楽を聞いてる友達とちょろっと話すくらいで
音楽の趣味を思いっきり共有できる仲間もほとんどいなかった
だから、このバンドはあ~だこ~だって噂もどうでもよかったし
周りに仲間がいなくても、自慢できる相手なんかいなくても
ひたすら好きなバンドのCDとかDVDとかを集めまくってた
全部自分のためだったから。

高校へ進学しようと思ったのは、単純にバンド仲間が欲しかったから。

中学では周りにそういうマジな感じの友達がいなかったから、
高校の軽音楽部に入ればとりあえずバンドできるだろう、
と思って進学可能な中で軽音楽部が活発な学校に入った。

受験が面倒くさかったし英語と国語しか自信なかったから
(数学なんて+ー×÷以外は一切できない)
中学では生徒会長になって内申点稼いで、面接で入学した。

まぁ結局バンド組むだけ組んでライブハウスに出るようになって
バイトするために高校辞めちゃったけど。

結果的に全く後悔はしていない。



英語を勉強しろ、と言われたこともないし
音楽をやれ、と言われたこともないし
高校をやめろ、と言われたこともないし


全部、自分で決めたことだから。


人に言われてしたことだったら、
苦しくなったとき、すぐに挫折してただろう。
そして挫折した時、自分にそう言った人を恨んだだろう。




ちょっと脱線しましたが

結局何が言いたいかというと、
最終的には自分自身でしょってこと。
俺を好いていてくれてて、その俺が『がんばれよ』って言う事が
その子のパワーになるのはわかる。
でも、仮にも自分の人生の大事な分岐点なんでしょう。
そういう時は、人の言葉とか、そういうんじゃなくて
自分でよ~く考えて、この選択は自分にとって本当に正しいのか、
死ぬ間際、薄れゆく意識の中で『あ~あの時やっぱあっち選んでおけばよかった』
なんて後悔しないかどうか、
そういうことまでちゃんと考えているか?ってこと。

そういう考えの下で、自分の人生にとって本当に必要な受験、試験ならば

自ずと人の応援とか、逆に罵声とか、そういうの一切関係なくなってくるはずなんだ。

例えひとりも応援してくれなくたって、やってやるぜ!!!

ってなるはずじゃない?

逆にそのくらいの気持ちでいなきゃ、できるものもできないと思うし。

もちろん
これって自分との闘いになるわけだからすごく苦しいし、
誰しもがそういう環境に飛び込んでいけるわけじゃないとは思うし
さっきも言った通り俺だって意地悪言わずに『がんばれ~』とか言ってあげればいい話しなんだけどさ。

でも、本当にその子のことを考えたら、
『応援して下さい!』『あ、うん、がんばってね!』
なんてペラいやりとり、その場では嬉しいかもしれないけど
人生レベルで考えたらその子のためにならないと思うんだ。本質は。




うーーーーーん。


話しが飛躍してしまったが、
まぁ、自分の人生ですから。
自分のスイッチは自分で押しましょう!
そういうことです。





(もちろんそういうの見る度にがんばれって思うし、思うからこその小言なのであしからず・・・素直じゃなくてごめんなさい・・・)