(太平洋戦争中、日本軍の宗教宣撫班(Religious Section of the Imperial Japanese Army)によって作成され、フィリピンのビザヤ地方にて配布されたチラシ。「私たちは信仰の自由を保障します。日本軍を信頼し協力してください」と英語とセブアノ語で記されてある。)
ロシアのウクライナ侵攻以後、「プロパガンダ」ということばが一般的になったように思います。戦争は武力や軍事力だけの戦いではありません。民衆の心を勝ち取るために、国家や権力者が自分に都合の良い情報ばかりを宣伝する心理戦も戦争の大事な一部であることがよく知られるようになりました。
それは第二次世界大戦でも見られたことでした。日本とアメリカがそんな情報戦を最も熾烈に繰り広げたのがフィリピンです。バターン半島やレイテ島を戦場にした激しい戦闘の裏側で、フィリピン人の心をたくみに勝ち取ろうとする戦いが行われていました。
日本軍が武力での威嚇とは別に、民衆の心を勝ち取るための何らかの努力が必要であることを悟ったのは、中国での民衆の激しい抵抗に苦しめられたからです。そこで「日本はアジアの兄弟たちを解放するために正義の戦いを始めたのだ」と呼びかける宣伝活動が始まりました。その先頭に立たされることになったのが太平洋戦争開戦の直前、慌ただしく編成された「第十四軍宣伝班」です。多数の民間人、文化人から構成されるこの宣伝班の中に宗教宣撫班が組織されました。
日本軍が無視できなかった一つの事実は、フィリピンがアジアでは唯一の「キリスト教国」だったこと。一般のキリスト教徒住民の理解と支持を得るために、また、日本のフィリピン占領を効果的に進めるために、日本人のカトリック神父、信徒、プロテスタントの牧師、神学生らが集められました。その内の一人が中田善秋さんだったのです。
