福島原発の事故の後、放射能の被害を恐れて逃げた人と逃げなかった人との間に深刻な分断が引き起こされたこと、そのような分断が多くの教会の中にも生じてしまい、その傷がいまだに癒えていない、という話しを福島の教会の一人の牧師からうかがいました。そのような混乱があったことを教会はちゃんと記録し、後世に残さなければなりません。
問題の根源は、牧師も信徒も教会全体の危機管理が不十分だった点にあるのではないかと私は考えています。原発事故を想定していた人は、私も含めて当時ほとんどいなかったと思います。でも事故を想定して、その時教会はどう対処するのかをあらかじめ話し合っていたならば、その後の対応は随分違ったものになったのではないかと思います。
危機管理の必要に関してはコロナ・ウィルスに悩まされ続けたこの2年間、いつも問われてきました。そして最近、思います。戦争が勃発した時に、私たちはどう対応するだろうか。
ウクライナで戦争が始まってしまいました。その事実に悲しみを覚えながらも、私たちはまだ傍観者としてこの戦争を見ています。私たちの国が戦争に巻き込まれることを私たちは考えたくないし、それゆえに考えないし、よってそれは起きないこととし、思考を停止させているのではないかと思います。
しかし想定外の危機に賢く対処するためには、それが起きてしまった後ではもう遅い。それが大震災の時に私たちが得た教訓です。戦時体制になった時、この国はどう動くのか、国民はどう反応するのか、その時に教会は牧師も信徒も一つとなって、この緊急事態に賢く対処できるのか。その備えは今から始めなければと思わされます。
