今まで散々サックスネタで書いて来ましたが、ここに来てちょっとした私なりの哲学的な物を書いてみます。
プロフィールの座右の銘のところに、
"生きる意味を探すに意味はなく生きているということに意味がある"
と書いてます。
これは本当は
"生きる意味を探すことに意味はなく、生きているということこそに意味があり、それ以上でもそれ以下でもない。生きた意味を知るのは最期のときのみ。焦らずじっくりやるべし"
となります。重たいかな?まぁ、一人言ですわ(^O^)
これ、自分で考えました。
ですから、有名な著名人とかの言葉とかではございません。
20代の前半のころ、ある出来事を皮切りに何をしてもうまく行かない状態になりました。
ある出来事とは「俺は一体何のために生きているのか?」を考え初めてしまったことです。
それまでにもそれを考えさせられるようなことは多々ありました。
考えないようにしていたのですが、ついに考え初めてしまったのですね。
今にして思えば、"うまく行かなくなった" のではなく、"うまく行かなくなった気がしていた" んですね。
ですが、その頃にそんなことに気付くことなどできませんね。
考えれば考えるほど虚無感に襲われ、デフレスパイラルのごとき虚無の底へと引きずり込まれる感覚を覚えます。
体は言うことをきかなくなるし、生きていることがしんどくなるんですね。
今日出回っている、いわゆるうつ病チェックシートで当時の精神状態をチェックしてみると、正に軽いウツ状態だったようです。
恐らく、これを読んでおられる方々にも少なからずも経験はあるのではないでしょうか。
勿論、そんなことはなかったと言われる方もいると思います。
ですが、この精神状態に陥るのは、本当に些細なことで起きます。
このスパイラルから抜け出す切っ掛けとなったのは、これもまた些細なことで、確かテレビドラマの中にあったフレーズ「人間は笑うために生きている!」というものでした。
実にシンプルで有りながら深い言葉は私の心の虚無感に底を打たせてくれたんですね。
結局、自分にノルマを課しすぎ(仕事ではなく、人生という意味で)なんですね。
こう在りたい、こう在らなくてはいけない!みたいな感じで。
気付かぬうちに自分を責めて、何もうまく行っていない気になっていたんですね。
それは疲れます。
で、先ずこう考えるようになったんですね。
「諦めにも似た覚悟を決めよう」
これを人に話すと「それは諦めやろ。」と言います。
それは全くもって似て非なるもので、この言葉には「どんな形で生涯を終えるとしても、最期のその瞬間まで一生懸命生きる」という意味が含まれています。
久しぶりの長文になってしまったので、続きは次回ということで(^O^)