毒を盛るひと99 自分を生きるって? | カラダとココロとたましいと ぢゅんさんのブログ

カラダとココロとたましいと ぢゅんさんのブログ

浅かろうが深かろうが、気づきはその人にとっての宝なのよ。

ぢゅんさんってどんなひと?
→わたしのプロフィール
このシリーズは、わたしが宇宙の法則やミラクルを語る口になりたいと願い、それを実行していく過程で、どうしても自分自身と向きあうことで、消化して昇華させることが必要だった
もっとも身近な[毒を盛るひと]とのエピソードと、
それについてわたしが感じたこと感じていることをギリギリまで言語化した記録です







「もし、みんなが好き勝手に自分自身を生きたら、
自分自身を生きているという誰かに、
大切なものを奪われるのではないか?」
わたしの中で条件反射的に出てくる疑問でした。

だからコレ、成立しないと思ってた。
だからみんなそれぞれ、
気ィ使って、ガマンしようよ、と。






結構成立するんだ、これが。

わたしの疑問「もし(前述の)そういうやつが現れたら??」

答えはカンタンだ。
走って逃げればいいのだ。
NO!って言えばいいのだ。

そもそも他人のなにかを奪いにくる人は、
「ちゃんと自分を生きてない」ことが多いのだ。
母のように。

自分がお腹空いてるから、
誰かの食べ物を奪いにくるのだ。

自分で自分の空腹を満たす。
もし余っていて、欲しい人がいるならあげる。

自分がお腹ペコペコなのに、
「好かれたいから、愛されたいから」といって
なにかを差し出しても、

愛してもらえるかどうかは、わからないのだ。
なぜなら愛するか愛さないかは、
その人が決めることだから。

あの人に愛されたいな、と願うことはできても、
『あの人にわたしを愛させること』はできないのだ。

わたしが自分を切り売りして、差し出しても、
母に、わたしが思うように愛してもらうことは出来なかったんだ。やっとわかった。

だからもう、切り刻むのはやめて、
まんまるの自分のまんまで、
生きていくことにした。

お腹ペコペコの母が、
感謝を求めてわたしに言葉をぶつけたくなっても、
わたしはもう、逃げるので、それを拒否するので、

母と仲良くなくてもいいと、思えるようになったので。ちょっぴり悲しいけどね。

自分自身を生きる、っていうのは、
大好きなもの、楽しいことを考えるのも
もちろん大切なんだけど、

イヤなもの、きらいなものから
『離れる』というのも、大切なことだなって。

選んでいいんだよ。自分で。

〈つづく〉







ぢゅんさんLINE@
↓友だち追加待ってます。
友だち追加