今、この世の中が変わりつつあるという感覚をお持ちの方が増えているのではないか。

 

 

 兵庫県知事選挙の後、相も変わらぬ旧メディアの報道ぶりを見て、「賢い」と我々が考えていた人々が、単に生きやすいとされる「学校的お勉強」に秀でていた人なのではないかと気付きはじめた。

 

斎藤元彦兵庫県知事

 

 

 彼ら学校秀才たちは、我々庶民を見て、与し易しと侮り、その後の人生を送る。しかし、そのツケが今回ってきている。

 

 

 学校秀才たちは、政治家になれば、正しく政治を行い、庶民を導いてくれるだろうと信じていたが、彼らは単に自分の利益しか考えていなかった。

 

 

 そんなことは分かりきっている。政治家なんて頭を下げるのは選挙の時くらいだろうし、我々はただの1票、もしくは家族の数票にしか見ていないだろう。

 

 

 これから我々凡人の逆襲が開始される。どんな感覚で我々を馬鹿にしたのかは知らないが、例えば兵庫県で行われた第三者委員会の報告を見て、流石弁護士だと思った人があっただろうか。

 

 

 委員長を見て流石元裁判官だと感じた人があったあっただろうか。オールドメディアの衰退と前後して、元学校秀才の時代が終焉を迎えつつあると感じる。

 

 

 「話せば分かる」と特に左の思想の人は言う。おじさんの寿命の残り具合もあるが、議論をするに値しない人とかものがあると分かりかけた。

 

 

 最近では日本保守党を批判する飯山某という女性である。あんな言論……どう批判すればいいのか。飽きもせずカレーがどうだったら、言論弾圧たらと言っているようだが、驚くことに、それに賛同する保守言論人が現れた。

 

 

 おまけに保守言論雑誌まで現れた。ちょうどいいのではないか。保守の深浅を判断するのに。保守が何たるかを考えるのに。

 

 

 病気持ちで半分、棺桶に片足を突っ込んでいるようなおじさんも、いい機会を得たと喜んでいる。

 

 

by 考葦(-.-)