新年、明けましておめでとうございます。本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

 

 

 言い慣れ、聞き慣れた言葉を口にするにも限りがある、そんなことに今更ながら、新しい感覚で気付いた。

 

 

  妙な言い方だが、今まで当然と思っていたことが、感覚が変わり、新鮮に思えて来た、と言った方が分かりやすいだろうか。

 

 

 それとも、これまで何千回、何万回も見て書いてきた自分の名前が、ある瞬間、突然、まるで人事ひとごとのように感じられたという感覚に似ているだろうか。

 

 

 巧く言えないが、皆さんは、『正月は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし』と言う一休禅師の短歌を、おじさんが覚えた感覚に近いものだと、予想されたと思われる。

 

 

 それはそうだが、しかし、おじさんが言ったのは、そういう事ではなく、偉そうに聞こえるかも知れないが、次元が一つ上がったような感覚と言おうか、言えば言うほど、実際に伝えたい感覚から遠ざかるような気もするが……。

 

 

 何方にもご理解頂けないかも知れないが、この感覚はもしかしたらデジャヴ(既視感)に似ているかも知れない。デジャヴと違うのは、デジャヴは場面が変わると薄れるのに対し、場面が変わっても変わらないことだろうか。

 

 

 デジャヴと反対に『未史観』といものがあるらしいが、それそのものか、それを一ひねりしたものが近いかも知れない。

 

 

 または、当初、老齢になり脳梗塞という病気をした所為せいかと思っていたが、もしかしたら、おじさんだけレベルが低かったものが、皆さんのレベルに追いついたと言うことなのかも知れないと気付いた。

 

 

 それならば、おじさんがどうこう説明するより、長幼の別なく、何方にも一瞬でご理解頂けるのではないか。もし研究をされてる方がいらっしゃって、研究事例にお加えになられる場合もあるかと想像し、及ばずながら正直に述べさせていただいた。

 

 

by 考葦(-.-)