おじさんが若かりし頃、ただ面白いから推理小説を多く読んでいた。その頃、書物というもの神聖なものとして捉え、古本屋というものがあったけれど、どちらかと言うと、手垢の付いていない物を選びたかった。

 

 

 いや、ちょっと嘘がある。古本屋へは行ったけれども、折れ目や書き込みがないものを選んだ。だけど、それでも新しいものでも、1割程度安いだけで、それなら出版したての本を買う方がよかった。

 

 

 と言う訳で、古本屋へ行くことは多くなかったけれど、廃・絶版になった本や全集、人気のない作家の本は重宝した。丸谷才一の『日本語のために』は古本屋で発見した。

 

 

 この本と先の『文章読本』の中に出てきた本と作者で、次に読む作品には不自由しなかった。謂わばおじさんの『旧仮名遣い』読書時代と言えるかも知れない。もちろん平行して推理小説は次から次へ読み続けていた。

 

 

 それと、ドストエフスキーやトルストイといったロシアの文豪の作品やゲーテなど装丁がものすごく立派で、比較的価格が安いものを古本屋で選んで買っていた。もちろん人への見栄用である。

 

 

 また、その頃、岩波新書を1日一冊読むというのをどこかで読んで、それを実践していたこともある。もとろん当時は著者の左右の別を検討することもなく、おじさんも今ほどネトウヨ化はしていなかった。

 

 

by 考葦(-.-)y-…