習近平が国賓? いつかの二の舞になるぞ。安倍は長期政権でゆるゆるになったのか。人類史に残るほどの大規模な人権犯罪を犯している独裁左翼の首領と天皇陛下とを握手させるのか。

 

 

中国の習近平国家主席(右)は27日、大阪で日本の安倍晋三首相と会見した(2019年6月27日撮影)。(c)Xinhua News  BBNEWS

 

 

 支那は世界の批難を浴び、ちょっと旗色が悪くなると、日本にすがる。経済制裁が効いてきて苦しくなると、用もないのに擦り寄ってくる。

 

 

 日本の政治家はお人好しで、経済制裁を率先して緩め、なし崩しにしてしまう。上から目線で国賓待遇を要求し、それに応じてしまう弱腰が目立つ。

 

 

 皆さんにお考え頂きたいのは、自由主義は思想信条、集会の自由等を認めざるを得ない点だ。そういう自由の中でぬくぬく太りながら、政権批判を繰り返すだけの野党がいて、そんな野党に肩入れする新聞もある。首相とて人間である。ミステークもあるだろう。読み違えもあるだろう。だが、かつての民主党政権の無為無策の日々に比べたら、雲泥の差である。

 

 

 支那共産党独裁国家は、かつて学生のデモ隊に発砲し、戦車で轢き殺すなど、いかにも左翼的な応対をした。これが有名な天安門事件である。死者は万のオーダーに達すると見る専門家もいる。今は、まるでそんな事件などなかったかの如く、ネットの検索ワードで反応しないように管理しているそうだ。

 

 

 支那は表面上、資本主義の良いところを取り入れ、国民を表面的に錯覚させるのを信条としている。結局のところ、土地の所有権は重複支配のような形態になり、江戸時代の藩と農民との関係のようなものになり、いざとなれば召し上げられる運命にある。

 

 

 国民は日米欧豪等の自由主義と同じ自由が与えられていると錯覚し、紛い物の自由の中で、完全自由に見えるネットで検索が機能しないことに気付いてすらいない。

 

 

 天安門事件の時も、世界中が支那の共産党を批難した。自由主義はそれ以外の思想も内在させられるため、ヒトラーがそうしたように、常にポピュリズムで思いがけない方向に引っられる危険がつきまとう。

 

 

 とにかく、習近平を国賓で遇しなければならない理由が見当たらない。国賓で遇したからと言って、こちらの彼の国での待遇が良くなるわけではない。尖閣へ出没する回数が少し減ることも考えにくい。

 

 

 支那が北朝鮮に圧力をかけ、拉致被害者が一人でも帰ってくるというのなら、幾らでも国賓で遇そう。

                                                                          

 安倍はここの所、油断があるのかちょっと緩んでいる節が伺える。憲法改正の狙いから、親中派の意見もないがしろには出来ないと、その提言をのむのだろうか。

 

 

by 考葦(-.-)y-~~~