喫茶店で週刊誌を読んでいると、プー小室こと小室圭のアメリカでの行動が記事になっていました。プーはアメリカの学生達にフリー小室とニックネームを付けられているようです。その理由は授業によってピザが食べられるものがあるらしく、プーは学部も違うのに必ず無料のピザを食うために顔をお出しになるそうです。つまりフリーとは自由を愛する者という意味ではなく、タダ飯を食う奴という意味でした。

 

 

 

Freebie AC より :大学で出されている物とは異なります

 

 

 こういう所は母親の教育が浸透していると思われます。あるいはプー自身の性格が反映されたものでしょうか。もちろん、民間の経済感覚があってもよろしいが、何か浅ましいと感じるのはおじさんがバイアスのかかった目で小室親子を見てるからなのでしょうか。

 

 

 ○○学部の学生に限ると謳ってある訳ではないから、ルール違反とは言えないし、法に違背している訳ではないけれども、他学部からピザを食べるためだけに、取りもしていない授業に出てくることまで、教授=学校サイドは想定していなかったと考えるべきでしょう。

 

 

 婚約のニュース以降、何か彼の行動には少し違和感がありました。母親の動きも変でしたけど、彼の疑問に直接答えず、違う方向からピントのずれた情報を流すというやり方は、韓国のやり方と一脈相通ずる所があります。やはり中杉博士の小室圭朝鮮人金貸しの子説は正しいのでしょうか。

 

 

 このような肩すかしを喰わされたような感触は、民主党政権時代、子ども手当というほとんど景気上昇に貢献しないバラマキ政策を実施した時、韓国だか支那だかの出稼ぎ男が百人以上の養子縁組をして子ども手当を貰おうとしていたニュースに接した時に感じたあの感触です。

 

 

 知ったかぶりの評論家連中から、日本人は性善説に立っているとよく言われます。その何が悪いのかとおじさんなどは思います。特定アジア3国の様な法律の中に穴があるとその穴を突かないとおられないような民族相手なら、逆に事は簡単です。例えば子ども手当なら、給付対象は日本人とすればいいだけでしょう。そこに憲法がどうの、公平がどうたらと、左巻のリベラルや旧態依然のマルクス主義を信奉している人士が言い出すので、そんなに金をやりたかったら、自腹でやれと言いたくなります。

 

 

 今の日本で、朝日新聞に代表される意見は、まず間違っているということは、すでに我がブログをお読み頂いている読者なら言うまでもないでしょう。

 

 

 憲法を例に取れば、国家の自衛権が本来有している権利だと、一度、説明を受ければ誰でも分かります。しかし、それを憲法に入れようとすれば、即座に次のような反論が出ます。

  1. 〝戦争がしたいのか〟
  2. 〝子供を戦争に行かせるのか〟
  3. 〝戦後、平和であったのは日本国憲法のお陰である〟

 

 普通に考えれば、戦争が起きないように明確に条文に記しておくのだと理解できるのに、理解したくないから捏ね回した論法で反論するしかないのです。論理的じゃないから説得力もない、よって、保守サイドから総スカンを喰うという図式になるのです。

 

 

続く

 

 

 by 考葦(-.-)y-~~~