杉田水脈衆議院議員
出典:「やれないことはないけど夢追ってみる?」様
『新潮45』の休刊が決まった。かつて新潮社は雑誌『FOCUS』で酒鬼薔薇聖斗(さかきばら・せいと)の顔写真と実名を報道した。世間のバッシングは今回の杉田水脈議員のLGBT論文の比ではなく、『FOCUS』どころか週刊新潮も店頭から撤去される事態となった。また作家が版権を引き上げると宣言したり、社内でも非難の声が挙がったようだが、その時は気骨のある重役が堂々たる論陣を張り社内を沈めたと記憶している。
と書いて筆が止まった。FOCUSだったか、FRIDAYだったか自信がなくなった。骨太の肝の据わった先輩ジャーナリストがいる社に、こんな朝日新聞の記者のような者が育つのかと疑問を覚えたからである。
時が経てば物も人も劣化する。好成績で大学を卒業し、好成績で出版社に入った者とは言え、時代自体の劣化の波は避けようがなかったと言うことか。
現在日本に於いて、言論の自由を生得の権利だと錯覚するなと言う方が無理なのだろうか。執筆者の方も覚悟をもって投稿しなければならないが、載せる方も相当の決意をもって載せる必要がある。
言論の自由の中には、読み方、解釈の自由もあるとは、新潮社出身の門田隆将から教わったものだが、どう解釈しても朝日の東北大震災に於ける東電の吉田調書の解釈には無理があった。と言うより、国語の試験としては零点に近いだろう。ただ、そう解釈したのならその自由も認めようとは思う。
あとで産経新聞らが現物を入手し、反論の声を上げた。執筆したのは朝日の〝優秀〟な記者だったそうだが、真逆に解釈するようでは、今後、この記者に期待できるものは何もない。
その代わりと言っては何だが、だからこそ、文章による論争が必要なのだ。言論にはモリカケ問題の様に印象操作とキャンペーンによるアンフェアなものではなく、そのアンフェアな報道に基づきワイワイ国会で騒ぐ事でもなく、誰もが検証できる形で、発表した媒体の紙面を提供して貰い、斯く斯く云々の理由で貴殿の主張は誤りであると堂々と論陣を張ればいいのである。
むろん編集者の目があるから、当然、レベルの低いものは却下されるだろうが、それは致し方なかろう。聞けば新潮社では女性編集者が音頭を取り、『新潮45』の編集長に謝罪させようという署名活動をしたようである。そして編集長に一言の弁明もさせず、休刊と相成った。
本当に読んでいない国会議員が聞きかじりで質問している印象を受けるが、おじさんはそうではない。
全文をお読みじゃない方に、全文を書き起こして掲載してくださったSkeltia_vergberさんのブログから引用させて頂くので、お読み願おう。
引用開始
『「LGBT」支援の度が過ぎる』
この1年間で「LGBT」(L=レズビアン、G=ゲイ、B=バイセクシャル、T=トランスジェンダー)がどれだけ報道されてきたのか。新聞検索で調べてみますと、朝日新聞が260件、読売新聞が159件、毎日新聞が300件、産経新聞が73件ありました(7月8日現在)。キーワード検索ですから、その全てがLGBTの詳しい報道ではないにしても、おおよその傾向が分かるではないでしょうか。
朝日新聞や毎日新聞といったリベラルなメディアは「LGBT」の権利を認め、彼らを支援する動きを報道することが好きなようですが、違和感を覚えざるをません。発行部数から言ったら、朝日新聞の影響の大きさは否めないでしょう。
最近の報道の背後にうかがわれるのは、彼ら彼女らの権利を守ることに加えて、LGBTへの差別をなくし、その生きづらさを解消してあげよう、そして多様な生き方を認めてあげようという考え方です。
しかし、LGBTだからと言って、実際そんなに差別されているものでしょうか。もし自分の男友達がゲイだったり、女友達がレズビアンだったりしても、私自身は気にせず付き合えます。職場でも仕事さえできれば問題ありません。多くの人にとっても同じではないでしょうか。
そもそも日本には、同性愛の人たちに対して、「非国民だ!」という風潮はありません。一方で、キリスト教社会やイスラム教社会では、同性愛が禁止されてきたので、白い目で見られてきました。時には迫害され、命に関わるようなこともありました。それに比べて、日本の社会では歴史を紐解いても、そのような迫害の歴史はありませんでした。むしろ、寛容な社会だったことが窺えます。
どうしても日本のマスメディアは、欧米がこうしているから日本も見習うべきだ、という論調が目立つのですが、欧米と日本とでは、そもそも社会構造が違うのです。
LGBTの当事者たちの方から聞いた話によれば、生きづらさという観点でいえば、社会的な差別云々よりも、自分たちの親が理解してくれないことのほうがつらいと言います。親は自分たちの子供が、自分たちと同じように結婚して、やがて子供をもうけてくれると信じています。だから、子供が同性愛者だと分かると、すごいショックを受ける。
これは制度を変えることで、どうにかなるものではありません。LGBTの両親が、彼ら彼女らの性的指向を受け入れてくれるかどうかこそが、生きづらさに関わっています。そこさえクリアできれば、LGBTの方々にとって、日本はかなり生きやすい社会ではないでしょうか。
リベラルなメディアは「生きづらさ」を社会制度のせいにして、その解消をうたいますが、そもそも世の中は生きづらく、理不尽なものです。それを自分の力で乗り越える力をつけさせることが教育の目的のはず。「生きづらさ」を行政が解決してあげることが悪いとは言いません。しかし、行政が動くということは税金を使うということです。
例えば、子育て支援や子供ができなカップルへの不妊治療に税金を使うというのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分があります。しかし、LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか。にもかかわらず、行政がLGBTに関する条例や要項を発表するたびにもてはやすマスコミがいるから、政治家が人気とり政策になると勘違いしてしまうのです。
LGBとTを一緒にするな
ここまで私もLGBTという表現を使ってきましたが、そもそもLGBTと一括りにすることが自体がおかしいと思っています。T(トランスジェンダー)は「性同一性障害」という障害なので、これは分けて考えるべきです。自分の脳が認識している性と、自分の体が一致しないというのは、つらいでしょう。性転換手術にも保険が利くようにしたり、いかに医療行為として充実させて行くのか、それは政治家としても考えていいことなのかもしれません。
一方、LGBは性的嗜好の話です。以前にも書いたことがありますが、私は中高一貫の女子校で、まわりに男性はいませんでした。女子校では、同級生や先輩といった女性が疑似恋愛の対象になります。ただ、それは一過性のもので、成長するにつれ、みんな男性と恋愛して、普通に結婚していきました。マスメディアが「多様性の時代だから、女性(男性)が女性(男性)を好きになっても当然」と報道することがいいことなのかどうか。普通に恋愛して結婚できる人まで、「これ(同性愛)でいいんだ」と、不幸な人を増やすことにつながりかねません。
朝日新聞の記事で「高校生、1割が性的少数者」という記事がありました(3月17日付、大阪朝刊)。三重県の男女共同参画センターが高校生1万人を調査したところ、LGBTは281人で、自分は男女いずれでもないと感じているXジェンダーが508人。Q(クエスチョニング=性的指向の定まっていない人)が214人いて、合わせて1003人の性的少数者がいたというものです。それこそ世の中やメディアがLGBTと騒ぐから、「男か女かわかりません」という高校生が出てくる。調査の対象は思春期の不安定な時期ですから、社会の枠組みへの抵抗もあるでしょう。
最近の報道でよく目にするのは、学校の制服問題です。例えば、「多様性、選べる制服」(3月25日づけ、大阪朝刊)。多様な性に対応するために、LGBT向けに自由に制服が選択できるというものです。女子向けのスラックスを採用している学校もあるようです。こうした試みも「自分が認識した性に合った制服を着るのはいいこと」として報道されています。では、トイレはどうなるのでしょうか。自分が認識した性に合ったトイレを使用することがいいことになるのでしょうか。
実際にオバマ政権下では2016年に、「公立学校においてトランスジェンダーの子供や児童が“心の性”に応じてトイレや更衣室を使えるようにする」という通達を出しました。先ほども触れたように、トランスジェンダーは障害ですが、保守的なアメリカでは大混乱になりました。
トランプ政権になって、この通達は撤回されています。しかし、保守派とリベラル派の間で激しい論争が続いているようです。Tに適用されたら、LやGにも適用される可能性だってあります。自分の好きな性別のトイレに誰もが入れるようになったら、世の中は大混乱です。
最近はLGBTに加えて、Qとか、I(インターセクシャル=性の未分化の人や両性具有の人)とか、P(パンセクシャル=全性愛者、性別の認識なしに人を愛する人)とか、もうわけが分かりません。なぜ男と女、二つの性だけではいけないのでしょう。
オーストラリアやニュージーランド、ドイツ、デンマークなどでは、パスポートの性別欄を男性でも女性でもない「X」とすることができます。LGBT先進国のタイでは18種類の性別があると言いますし、SNSのフェイスブック・アメリカ版では58種類の性別が用意されています。もう冗談のようなことが本当に起きているのです。
多様性を受けいれて、様々な性的指向も認めよということになると、同性婚の容認だけにとどまらず、例えば兄弟婚を認めろ、親子婚を認めろ、それどころか、ペット婚、機械と結婚させろという声が出てくるかもしれません。現実に海外では、そういう人たちが出てきています。どんどん例外を認めてあげようとなると、歯止めが効かなくなります。
「LGBT」を取り上げる報道は、こうした傾向を助長させることにもなりかねません。朝日新聞が「LGBT」を報道する意味があるのでしょうか。むしろ冷静に批判してしかるべきではないかと思います。
「常識」や「普通であること」を見失っていく社会は「秩序」がなくなり、いずれ崩壊していくことにもなりかねません。私は日本をそうした社会にしたくありません。
引用以上
いかがだろう。水田がLGBTを差別していると解釈できただろうか。元新潮社記者の門田隆将はどこかで、杉田議員の論文は、LGBTに予算を使うなら少子化に回すべきだと解釈したそうである。おじさんも大賛成である。おじさんの解釈を披露させて貰えるなら、一歩進んでそんな少子化に対する安倍内閣のあまりの無策を批判していると読んだ。
何時も言っているが、朝日は物事の意見を形成する上での貴重なバロメーターである。朝日の反対の意見を形成しておくと間違いはない。
それにしても此度の新潮社の選択は、言論を封殺する空間を助長してしまったと言うしかない。FOCUS騒動の時のように、毅然と撥ね除けていれば、新潮社の姿勢は賞賛され、将来の語り草になったのにと残念でならない。
by 考葦(-.-)y-~~~