日本は自由主義の国である。そして個人の信教、思想の自由を保証する国である。だから、一部の勢力が思想の自由を楯に左翼思想を広めようとしてきた歴史がある。社会主義国家、共産主義国家の歴史はあらゆる自由を奪い、それに異を唱える国民を大量に虐殺した歴史しか無い。それは異を唱える者ばかりでなく、革命前に裕福であったというただそれだけで、粛正の対象とされたのである。今、共産党、民進党左派、立憲民主党はそれらに口を噤み、此度の衆議院選挙で、立憲民主党代表の枝野幸男は、言うに事欠き自分たちは〝保守〟だと仰せになった。
保守の枝野幸男氏:出典沖縄より様 コラージュ?
真面目に反論すると、保守とは字義通りなら何かを守るという意味だが、思想的には自由主義国家がマルクス主義や左派リベラルから国体や伝統、歴史、文化を守る立場ということになる。そう、おじさんやここを訪れる皆さんのように。
噴飯物の〝保守〟立憲民主党だが、彼等の言う立憲とは、自分たちに都合が悪い憲法の改正には反対だというに過ぎない。
ちなみに、立憲主義をウィキペディアでは次のように書いてある。
立憲主義(りっけんしゅぎ、英: Constitutionalism)とは、政府の統治を憲法に基づき行う原理で、政府の権威や合法性が憲法の制限下に置かれていることに依拠するという考え方。「 憲法に立脚する」という意味合いである。 なお、立憲主義を前提とした民主主義を立憲民主主義と呼ぶ。(Wikipedia)
よくサヨクが政府を監視し縛るのが憲法だと仰る。『憲法は公権力に対する国民からの命令である』とも聞く。ウィキにもその辺りの機能が説明されている。しかし、それは一面を捉えたものに過ぎないと埼玉大学名誉教授の長谷川三千子氏は言っている。
□拙ブログ参照
□お急ぎの方用直リンク
http://www.sankei.com/column/news/170913/clm1709130008-n1.html
http://www.sankei.com/column/news/170913/clm1709130008-n2.html
http://www.sankei.com/column/news/170913/clm1709130008-n3.html
http://www.sankei.com/column/news/170913/clm1709130008-n4.html
立憲主義とは憲法そのものを矛盾無きものにすることを含むという論理は今の自民党の中ですら半数程度しか認識していないだろう。
こういう道理は我々は胸に染みこむように理解できるが、サヨクの人々には難しいようだ。おそらくそれは、論理的な思考が出来ない保守の人間に道理など説かれる筋合いはないと、心の何処かで抵抗があるからだろう。
我々は若い頃から論理的に考える訓練を経てきているんだ。論理展開が難しいからではなく、理性と論理の積み重ねにより構築された(彼等にとって)最善最高のサヨク思想が、保守の変わりたくないという頑迷固陋な精神が編み出した苦し紛れの論法に負けるはずがないという思いからであろう。
だがもし改正箇所が天皇の章を削除する事だったらどうだろう。同じ台詞を吐けるかな。全体主義の為政者にとっては極めて有効なサヨク思想、だが、大多数の人民にとっては息苦しく恐ろしいだけの制度である。そんな制度に心酔する心情は、自分が革命後はリーダーかリーダーが属する階級にいられる筈だという前提があるからである。
若者は瞬時にサヨク政党の論理とやらの隅に見え隠れする欺瞞を見抜き、健全な保守精神を形成している。気付かないのは昔取った杵柄で、大学時代学生運動に参加したか、心情的に支持していた団塊の世代ぐらいのものであろう。左翼政党の支持層は枡が決まってしまっている。立憲民主党が伸び、共産党が大敗した意味がそこにある。
あとは汚い手を使ってでも政府を攻撃しようとしている朝日、毎日をはじめとするサヨク系新聞を読み、テレビのワイドショーで知識を蓄える主婦層が誤ってサヨク政党に投票する虞があるくらいか。
旦那でも子供でもいいから、家庭内で議論し、事実を提示しつつ誤解を解くよう軌道修正を望む。おじさんも自戒を込めて言うのだが、投票行動は独立した個々人の権利だとして突き放すと、あとでとんでもない人間に入れてしまっている事に驚くことがある。
家庭内の話し合い、議論は重要である。あるいは、スマホを買い与えるという方法もある。
by 考葦(-.-)y-~~~