本日、平成29年10月13日産経新聞の『正論』欄に長谷川三千子埼玉大学名誉教授の論文が載った。

 

 http://www.sankei.com/column/news/170913/clm1709130008-n1.html

 http://www.sankei.com/column/news/170913/clm1709130008-n2.html

 http://www.sankei.com/column/news/170913/clm1709130008-n3.html

http://www.sankei.com/column/news/170913/clm1709130008-n4.html

 

 

 

 長谷川氏はおじさんが若い頃から尊敬する人である。何時も変わらぬ、本当にぶれない意見を述べられる方で、歴史的仮名遣いを用いている方である。

 

 

長谷川三千子 出典:産経 WEST

 

 今日の論考は『立憲』について、日本の政治家及びマスコミが誤った使い方、あるいは一面的な使い方をしているのを正す内容である。何時もながら、その指摘にはハッとさせられる。

 

 

 9月30日朝日新聞の朝刊に「改憲の道理 主権者が吟味を」と題する記事が掲載されたようだ。引用して尾崎行雄著の『政治読本』の一文が掲げられているそうだ。それが「『ただ一貫したる道理によってのみ支配せられる。』これが立憲政治の精神である」である。

 

 

 おそらくは、改憲には一貫した道理がなければならない。それが立憲政治の精神だが、はたして与党のいう憲法9条2項の改正に道理はあるのかと言いたいのだろう。

 

 

 朝日は護憲勢力の応援団だから、左翼・リベラルの憲法改正反対を理論的に補強するために尾崎の著書を引用したのだろう。だが、護憲勢力の言う道理とは、平和憲法により平和が維持されてきたという誤解(錯覚・思い込み)を前提に成立しており、改正しないのが『一貫した道理』だという論理展開を朝日は試みたものと思われる。

 

 

 枝野氏にしても『立憲民主党』なる党を立ち上げる際、当然、立憲=護憲を念頭に置いて命名したに相違ない。

 

 

 ところが、長谷川氏は立憲民主党も朝日新聞も憲法を政府・公権力を縛る国民からの命令としてのみ捉えているとし、それは『立憲』のほんの一面に過ぎないという。

 

 

 もうこれ以上は蛇足である。じっくり長谷川氏の文章を味わって貰いたい。但し、歴史的仮名遣いは現代表記に改められている。

 

 

by 考葦(-.-)y-~~~