先日、クイズ番組をぼけっと観ていると、江戸時代に幕府が信者を発見するために云々とあったので、おじさんは踏絵(ふみえ)と答えたところ、回答者もそう答え正解した。ところが解説で、現在の教科書では踏む絵と教えており、絵を踏むことを絵踏みと教えていると言ったので、またかとカッと頭に血が上った。

 

 

 踏み絵のことを絵踏みとも言うのは日本人なら自然に解釈できる。ところがそれに用いられた絵を何というかは特に決まった名詞があった訳ではない。まあ、絵を指しても踏み絵で通用していた。そこにセンスの悪い学者がチャンスとみたか、命名の栄誉を得んとしたか、ふむえ(踏む絵)などという生硬な言い方を恥ずかしげも無く持ち出し、何も知らない子供に押し付けようとしている。

 

 

 かつて丸谷才一が国語学者が数多の名文に接していながら、ご当人の文章が冴えないと嘆いていたが、この教科書を執筆した歴史学者か何か知らないが、名文に接することさらに少ない連中であろう。文法のことはさておき、どちらが言いやすく美しいか言うまでもないだろう。

 

 

 江戸時代に幕府が「踏む絵を踏ませてキリスト教徒をあぶりだせ」とでも言ったのか。大昔、パソコン通信の時代、ある人が不可逆的を非可逆的と書いたので、読んだ人がそれを指摘したところ、非可逆的で間違いないと強く反論してきた。おじさんも幾つかの例を出し、可の前は不であると証明したところ、その人が学生時代の教科書を探し出してきて、確認したが間違いないと言い始めた。

 

 

 結局、その人は理科系で、『非可逆的』と書いてあったのは理科系の教科書であることが判明。理科系の学者が英文の論文を翻訳する際、可逆、不可逆という言葉があるにも拘わらず、非可逆と翻訳してしまった。優れた論文だったので、後世の学究が当該の翻訳した論文をベースに論を組み立ててきた。よって、理科系には非可逆が蔓延してしまったという結論でその論争は終結した。

 

 

 皆さんは、つい最近、不可逆という言葉をお聞きになった事があるだろう。そう日韓慰安婦合意の際に盛り込まれた文章に入っていた。聞いたとき不可逆という言葉が韓国人に理解できるのかと案じたものだが、案の定、民間人がしていることなので強制的に像の撤収は出来ないと仰せになった。大統領が替われば、合意は破棄され、またぞろ過去の架空の史実を根拠に日本を責め立てて来ると考えられる。

 

 

 日本の学者さんは定着した歴史を変えるのがお好きなようで、聖徳太子を教科書から消して厩戸皇子(うまやどのみこ)としようとしているらしい。聖徳太子というのは後の謚(おくりな)であって存命中はその名で呼ばれていない、初出は100年ほど後の文献だと云うのが論拠だそうだ。

 

 

 昔を暗く殺伐とした時代と捉えたいという、ある種の信仰を有する学者には、聖徳太子など存在しないという事なのだろう。生きていたときに呼ばれていない、本人はその謚号(しごう)を知らないという点だけを見て、後世の人間がどういう感情をもってその名を口にし、記してきたかという点は見えないらしい。

 

 

 放っておけば、一応の屁理屈を楯にどんどん改悪されるだろう。おじさんはこういう学者はサイコパスだと考えている。

 

 

 

 

by 考葦(-.-)y-~~~