わたくし考葦おじさんがもっとも気にかかること、それは Colin さんも感じておられる〝寛容のなさ〟なのだ。

 

 

 Colin さんのリブログ先である ripie さんも案じておられるような差別をされる者 → 弱者 →保護対象、差別をした者 → 強者 → 要矯正教育 といった形式的な型に嵌まった思考に陥ることこそが、人間の精神にとって最も危険なのだ。

 

 


 

 

 これをポリティカル コレクトネス(以下「PC」)というそうだが、世界で最も自由に敏感と目されているアメリカにして、こういう不自由な現象が生じているとは驚きだ。

 

 

 弱者はこれを切っ掛けに何時の間にか強者になっているという未来図がおじさんには見える。ripie さん Colin さんも同じいやな感覚を肌で感じておられるのだろう。

 

 

 一見正しく見えること、反論のしようもないようなことが、いずれ逆転現象を起こし、かつて強者と目されていた側が暴発する――それが怖いのである。その時がいま懸命に地位を確立しようとしている現在の弱者(に見える側)が、目論見に反して終焉する時とも言える。

 

 

 我が国で言えば、ヘイトスピーチ法だろうか。もしそれが真の弱者ではなく、弱者を装った者の計算だとしたらどうなる。為政者はそこに目を向けていなければ選択を誤る事になるだろう。

 

 

 国民の多数が何か肌にまとわりつくような、酸素が薄くなったような嫌な感覚を失なわなければ何も心配ないが、かつて小泉純一郎がB層と定義した付和雷同型の国民が多くなれば、我が国も次は講習やカウンセリングを受けさせられる方向、すなわち今アメリカが陥っている方向へ進むと予想される。

 

 

 もしかしたら、トランプ現象はPCへの抵抗なのかも知れない。

 

 

by 考葦(-.-)y-~~~