植村隆氏が日本では誰も聞いてくれないので、韓国の新聞に思いの丈を述べられ模様。
金学順さんが〝キーセン学校に通っていた〟ことを書かなかったから日本の右翼に責められたとお思いのようだが、そもそもキーセン学校とは慰安婦養成所のようなもので、そこは勿論、学費を払って芸を学ぶところではなく、学校側が親にお金を払うようになっていた。つまり、体の良い人身売買である。
出典:Wikipedia
1904年の妓生の少女たち
キーセンは普通の売春婦とは異なり、高級売春婦と言っていいかも知れない。芸があったのは分かるが教養があったのかどうか。必ずしも性を売ったとは限らないとはいうものの、中国人使節を接待するのが基本だった筈だから、行き着くところは性ではなかったのか。
キーセン学校の〝お父さん〟というのは、経営者の事だろう。彼に連れられて中国に行ったとは、〝お父さん〟が金学順さんを慰安所に売ったということだと、普通の者は思う。〝お父さん〟の商売は、若い娘を買い、衣食住の面倒を見ながら芸を仕込み、適齢になれば慰安所に売ることである。売ったその金から数年間の衣食住に要した費用及び仕入価格を引いたものが利益になる。
売った先の慰安所は朝鮮人経営のものか、日本人経営のものかで、働く女性は天と地ほどの相違が生じただろう。研究者は朝鮮人慰安婦は一晩に10人から数十人の相手をしたと言っているところをみると、朝鮮人経営の慰安所だったのだろう。日本人経営の慰安所では基本的に将校より多い収入を得ていたので、大きな貯蓄をして辞めていっただろうと推定されている。
日本人慰安婦は、最初の成り立ちは借金でも、それを払って余りある収入を蓄え、戦後、ひっそりと生きてこられたのだろう。4ヶ月で男と逃げ、今、過去の恥をさらしてでも、目先の金を得たい慰安婦とは雲泥の差である。
おじさんには福島瑞穂や仙谷由人という日本の左翼弁護士や、植村隆を初めとする左翼反日新聞社とその社員が金学順さんを弄んでいるようにしか見えない。決して彼女の事を慮り将来のためにといった様子ではない。そこに優しや心配りは微塵も感じられないからだ。
by 考葦(-.-)y-~~~