世界史郎さんのブログによると、最近韓国で、国の史跡である三田渡碑に、恥辱の歴史を物語るものだとして、落書きする人間が現れたそうである。


 この三田渡碑(さんでんとひ)というのは、次のような経緯により建立されたものである。


 明朝末記、清(後金)が明を攻撃する際に朝鮮に協力を求めたところ、華夷思想に囚われた朝鮮が自分たちより劣る女真族に協力することをよしせず断った。そこで清は明へ攻め入る前に大軍を率いて朝鮮に攻め寄せた。40連敗という連戦連敗で滅亡する寸前に、和議を持ちかけそれが認められた。その際、条件として皇帝のホンタイジが命じて建立させたのが、ホンタイジの徳と朝鮮王の不明と猛省を刻んだ三田渡碑である。場所は朝鮮王が降伏し、三跪九叩頭の礼をもって迎えた土地だそうである。


 和議の内容は下記で引用するが、かなりの物品を上納(朝貢【ちょうこう】ではない)することを誓約している。臣下になるのはいつもながらの事であり、その点は卑下してはいないと思われる。

出典:ホロン部通信さん
何か卑猥な碑に見える。


 碑文の日本語訳は次の通りである。ホロン部通信さんのブログから引用する。

大清皇帝功徳碑文

 愚かな朝鮮王は、偉大な清国皇帝に逆らった。清国皇帝は愚かな朝鮮王をたしなめ、己の大罪を諭してやった。良心に目覚めた朝鮮王は自分の愚かさを猛省し、偉大な清国皇帝の臣下になることを誓った。我が朝鮮はこの清国皇帝の功徳を永遠に忘れず、また清国に逆らった愚かな罪を反省するために、この石碑を建てることにする。


和議の内容

 和議の内容朝鮮は清国に対し、臣としての礼を尽くすこと。朝鮮は明の元号を廃し、明との交易を禁じ、明から送られた誥命と明から与えられた朝鮮王の印璽を清国へ引き渡すこと。王の長子と次男、および大臣の子女を人質として送ること。 清国が明を征服する時には、求められた期日までに、遅滞なく援軍を派遣すること。 内外(清国)の諸臣と婚姻を結び、誼を固くすること。城郭の増築や修理については、清国に事前に承諾を得ること。 清国皇帝の誕生日である聖節・正朔である正月一日・冬至と慶弔の使者は、明との旧例に従って送ること。 清国が鴨緑江の河口にある島を攻撃する時に、兵船五十隻を送ること。 清国からの逃亡者を隠してはいけない。 日本との交流を許すこと。清国に対して黄金100両・白銀1000両と20余種の物品(朝鮮美女・牛・馬・豚を各3000ずつ)を毎年上納すること。
引用以上


 ここまでで、彼の朝鮮民族の特徴がよく分かる。まず、歴史に対する認識である。落書きした者は、政治家がだらしないとまたこういう失敗をするぞと猛省を促したと、弁明しているそうだが、どうせあんたら漢字を読めもしないだろう。歴史的遺物として大切に保管することの方が民度が高いということが理解できないのだろうか。


 これは世界史郎さんも指摘しているが、何故朝鮮に美人が少ないのかの原因をここに求めている。おじさんも同意見であり、前にも書いた記憶があるが、もう一度、おじさんなりに表現してみよう。


 当時、1000万程度の人口があったと推測されるが、毎年、3000人の美女を上納すると、相当な人数の美女が清に渡った計算になる。


 これを別の角度から見ると、美人ではないという特徴を持った人間を残し、美人を排除していることになる。つまり都合がよい遺伝子(不美人という特性)を持つ個体を残し、交配を繰り返す手法と考えれば理解しやすいだろう。


 これを長年繰り返すと、次第にその成果が現れ、やがて美人が生まれにくい民族へと「進化」するのである。今の整形前の特徴をもつ朝鮮人の姿が自らの選択の答えである。かつて朴槿恵大統領が国際会議か何かの場で、韓国は美人が多いと言って失笑を買ったことがあった。あまりにも歴史を知らなさすぎる。


 この美女上納の歴史も酷いが、さらに民族にとって気の毒なことがある。試し腹の悪弊である。毎度毎度書く方も憂鬱になるが、嫁ぐ娘が妊娠できるかどうかを証明するために、娘の親兄弟で妊娠させる風習のことである。妊娠した子は奴婢として使役されたというが、上から下まで長年これをやったら、奴婢ばかり増え、健康面でも近親相姦の弊害が出ることは火を見るより明らかである。


 遺伝子のことは今回は繰り返さない。興味のある方は、「近親相姦」で拙ブログを検索して欲しい。


 かくして哀れな近代朝鮮人は過去の朝鮮王が採択した政策により、不美人という望みもしない遺伝子を受け継いでしまった。顔の方は何とか整形という医学の力で解決したように見えるけれども、近親相姦により傷ついた遺伝子の修復は、まだ現代医学では無理なようである。他国にはない環境を利用し、遺伝子修復の研究をなさればノーベル賞も夢ではない?

by 考葦(-.-)y-~~~