小林よしのりの『新戦争論』を読んでみた。
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小林の著書は『天皇論』以来、『SAPIO』で連載中の漫画を買ったついでに読むくらいで、しばらく距離を置くことにしていたので、その前にウオーミングアップとして、古書店で小林作品を1冊勝って読み、それが描かれた時点では、おじさんとの小林との相違は皇統の男系男子派と、女系容認派ぐらいだなと小さな感慨にひたった。
ある意味小林との決別宣言である『皇位継承問題1』、『皇位継承問題2』を書き、その後、桜井よし子を極左呼ばわりしたため、『小林よしのり は狂いが生じているのか?』と題して〝反日日本人の系譜〟のカテゴリーで苦言を呈したことがある。それ以来、精力的な活動は承知していたが、作品に接することはなかった。
イラク戦争は日本が大東亜戦争に引きずり込まれる直前に突きつけられたハル・ノートの様に、アメリカは戦争をするためなら証拠の捏造でも、詐話師(さわし)に虚偽を語らせることも、自国民を死に追いやることも、真実の隠蔽でも何でもする国であり、それは現在も変わっていない事を知っているし、イラクは開戦に至るまでにフセインが譲歩に譲歩を重ねていたことも見ていた。
にもかかわらず、大量破壊兵器を備蓄しているとの名目で空爆に踏み切った。その時点で、今攻撃すべきは北朝鮮であり、イラクではないと何処かに書いたはずだが、見当たらない。
そして、散々イラク国土を破壊し、一見アメリカの大勝利で地上部隊が派遣された。その後の顛末はみなさんご承知の通りであり、自爆テロによってアメリカ兵の死者の数が日に日に増えていき、ついには国内世論に抗しきれず、撤収せざるを得なくなった。
そして挙げ句の果てに、大量破壊兵器は見つからなかったと仰せになった。その程度の不確実な情報で戦争に踏み切るとは、70年経ってもアメリカは何も変わっていない。攻撃することが先にあり、その前段階では辻褄合わせを少ししだけだったと判明したのである、日本を戦争に引きずり込んだように。
安倍首相がフセインが大量破壊兵器が無いことを証明できなかったことが問題だったと、当時の日本政府の立場を弁明したようだが、無いことを証明するのは、悪魔の証明と言われ、ほぼ不可能と考えていい。首相がこういう論法を用いることはいただけない。
『霊が存在しないことは証明されていない。故に霊は存在する』――まさに詭弁そのものである。この手の詭弁はよく耳にするので、皆さん注意していただきたい。
逆にこれは、『霊が存在することは証明されていない。故に霊は存在しない。』とも言えるわけで、【存在するかも知れないし、しないかも知れない】――判っているのはそこまでである。
つまり、『霊が存在することは証明されていない。同じく霊が存在しないことも証明されていない。故に、霊は存在するかも知れないし、存在しないかも知れない』――結局、何も言っていないことと同義である。
フセインは大量破壊兵器を備蓄しているかも知れないし、していないかも知れないとう状況で、国連の決議を経ないまま開戦に踏み切ったのが、イラク戦争である。ここで問題なのは、先進国の刑法のように、『疑わしきは罰せず』とするのか、『疑わしきは罰す』とするかである。
刑法という法律よりもっと厳格に捉えるべきだという立場の人もいれば、世界人類の平和と安全のために、疑わしきは罰すべきだという立場の人もいるだろう。ただ日本の左翼のように、便宜に立場を幾らでもスライドさせる人々もいる。
さて、その後、小林は何に於いても米国を批判しない保守論壇の人々をアメリカの〝ポチ〟と名付け、漫画で揶揄しまくった。保守派の小林に対する反論があまりにもお粗末で、言葉に詰まった挙げ句、漫画という媒体が言論に於いて程度の低いものだと論難したため、初めに戦争論を書いた当時の左翼メディアや言論人と同じ道を歩んでしまった。
つまり面白おかしく漫画にされ、さらに腹を立てることになったのだ。わたくし考葦おじさんは反米でも親米でもない。愛日である。その証拠に、TPPは駄目だと反対するし、大きな陰謀論の立場から、人類の進歩と幸福を阻害する影の世界政府を批判する。そのお先棒を担ぐ一番手をアメリカと見なしている。だから、イラク戦争時に賛成の論陣を張った保守言論人をポチという小林の姿勢はおじさんと同じである。
安保法案が通ったからと言って、戦争が近くなるわけではない。それは左翼メディアのキャンペーン活動に乗せられているだけである。中国が仮想敵国であるとはっきり言えば、もっと分かりやすいのだが、反発を招くのは必至であるし、何処の国の政治家かと思う国会議員が多数存在する上に、代弁者であるマスコミも多数存在するから、表現を控えているだけである。
今回、小林の著作を読んでみて、それほどの意見の相違はないと再確認した。だからといって反日のレッテルを剥がすわけにはいかない。何故なら、日本と言うとき、天皇を抜きにして語れるだろうか。語れる筈がない。だから皇統が絶えない施策を講じなければならないのは分かる。しかし女系天皇を容認するというのは、天皇制を根幹から変えてしまう虞がある。そういう敬意と畏怖を抱かずして、歴史ある天皇制を語る資格があるのかと問いたい。
ただ、今回は読みやすいなと思い、つらつらその理由を考えていると、小林お得意(発明)の上部欄外で多数の文字を用いるアピールが、今回無かったからだと気付いた。進歩なのか退廃なのかよく分からないが、おじさんには読みやすかった。
GHQすなわち米国が何故、多数の宮家を廃止したのかを考えるに、男系で継続した天皇の伝統を恐れていたからに他ならない。二千五百有余年の歴史の重みに畏怖の念を禁じ得ないのである。だから、せめて女系天皇が生まれやすくするため、宮家を廃家としたのである。それにまんまと小林が乗ってしまったように見える。
天皇家や皇室の意向を無視した女系天皇ほど反日の言論があろうか。これは絶対に譲れないのである。
文中敬称略
by 考葦(-.-)y-~~~
書き始め 2015-07-15 16:09:51
書き始め 2015-07-15 16:09:51