『正論』3月号に〝捏造〟呼ばわりしたと植村隆が事を法廷に持ち込んだことに対する西岡力(つとむ)の批判文が掲載された。


 特集『世界同時多発 「言論の自由」の危機
 私を訴えた植村隆・元朝日新聞記者へ
  なぜ「言論」に背を向けるのか  ;

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 論争は反論、再反論を交互に繰り返しながら、物事の真実を求めていくエキサイティングな行為である。言論人ならワクワクするような晴れの舞台であるはずの行為を、スキップして裁判に訴える神経は、もはや言論人とは言えないと、先のに西岡反論をご紹介した拙ブログ記事で、不肖考葦おじさんも指摘しておいた。


 これを勝負と見なせば、植村が西岡に勝てば、ネットの人士も批判を止め、自分や子供に対する卑劣な脅迫は鳴りを潜めたであろう。千載一遇の好機をどうして生かさないのだろう。


 それを〝逃げ回り〟、文藝春秋の手記で、漸く腹を決めたかと思いきや、西岡の反論も読んだのかどうか疑わしいほど、素早く裁判に訴えるという選択をした。


 これでは、口では捏造呼ばわりと批判しているものの、裁判に逃げたとしか思えない。


 西岡が指摘する論点は多くない。西岡自身が整理しているので引用する。

 第1に、元慰安婦の経歴に関して本人が一度も話していない「女子挺身隊の名で戦場に連行された」ことを付け加え、

 第2に、本人が話していた貧困のため母親にキーセンとして置屋に売られ、置屋の主人に日本軍慰安所に連れて行かれたという重大な事実を書かなかった。

 第3に、植村氏は日本政府を相手に戦時補償を求める裁判を起こした当事者である遺族会の幹部の義理の息子であり、利害関係者だったことだ。


 その後、上記3点について詳しく論証されているが、割愛する。ただ贔屓目ではなく、普通の読解力を持つ者が普通に読めば、西岡が正しいと理解できる。植村の応援団は、イデオロギーが先に立ち、仲間を応援するということではないだろうか。同じ人権でもアメリカの黒人に対する人種差別の疑いがあれば、声高に厳しく批判するが、中国のチベットやウイグルで起きている〝虐殺〟にはあまりものを仰らない。


 多くは言わない。同じ事柄なら、誰に対しても、同じ言葉を同じ強さで言うのが正しい生き方だとおじさんは信じている。その公正さは右寄りだ右翼だと言われている人に多く見られるのは何故か。そこがスタンダードだからではないだろうか。


 おそらく幾らかの金銭と訂正記事を載せるという請求になると思われるが、立証責任は原告側にあるはずだから、楽しみと言えば楽しみである。
〈文中敬称略〉
by 考葦