西岡が植村の記事を捏造と疑うもう一つの根拠は、金学順が繰り返し述べているキーセンを記事に入れなかった点だ。


 西岡は『正論』論文の中で、『①貧困のため実母にキーセンとして売られたという事実、②養父が慰安所に連れて行ったという事実を書いていない。』という。


 そして植村手記が〈キーセン学校に通ったか、通ってなかったかは大きな問題ではないと私は思う。金学順さんがどんな経歴であっても、自らが望んで慰安婦になったわけではない。被害者は被害者ではないか〉と書いたのに対し、西岡は『事実を報じる記者の言うべき事ではない』と批判する。


 本人が望まずに慰安婦になった女性がどれだけいると思っているのだろう。金と同じ境涯の人はたくさんいただろう。 しかし、これのどこに日本相手に裁判をする要素があるというのか? だが、ここに法律家である福島瑞穂が一枚噛んで、強制連行された従軍慰安婦という訴えるに足るストーリーを練り上げた。


 我々が見れば、慰安婦の方々はお気の毒だとは思うが、単に軍人相手の売春婦になっただけのことである。結局、言葉をたくさん費やしてはいるが、植村はいまだに西岡が指摘している、つまり国を愛する日本人の大部分が聞きたい事の本質が理解できていないようである。おそらく死ぬまでこのままなのだろうと思う。



出典:阿修羅 左 植村隆、右 義母 尹貞玉


 植村は手記で韓国では女子挺身隊と慰安婦が同義だったと言うが、日本人で日本の新聞に書くのだから、日本で使用されている本来の意味で使うのが道理ではないか。ちょっと調べれば、女子挺身隊の経験者は周りに幾らでも存在し、まったく違うと即座に判断できたはずだ。


 それと記者としての倫理に関してだが、義母が日本相手に裁判を起こしているのに、その身内である者が、裁判に関連した、しかも有利と思われる記事を公器である新聞に書くことは、公正に書いたとしても、批判を受けるという意識はなかったのか。最初は他人でも、ある時点から親戚になってしまったのだから、社に委ねたり、他の記者に委ねるという選択肢も採れた筈だ。それともスクープ(と本人は思っていた)の栄誉を途中で人に与えたくなかったのか。


 最後に提案だが、若宮啓文先輩のように韓国で職をお探しになった方が、バッシングもなく平穏にお暮らしになれるのではないか。奥様の母国であるし、奥様も喜ばれるのではないか。

文中敬称略