人間は誰しも自分を大きくも美しくも見せたいものだ。ある意味、それが人類の進歩の原動力になったし、国の発展に寄与した面もある。


 そういう普遍的な人間の性を肯定するとしても、韓国で行われている歴史教育や反日教育は学問を逸脱して、もはやメルヘンの域に達している。


 しかも、それを国家レベルで実施し、空想の内で最も自らに都合が良く気持のいいものを〝正史〝として残し、外国にまで声高に主張するばかりか、史実に基づいた歴史を教える国に対し、誤った歴史を教える国として論難するのである。


 韓流ドラマは理想を表したものとの分析もあるが、真剣に観たことがないということを告白しつつも、おじさんの目には男も女も大きな声を出す場面が多すぎて、理想とはほど遠いものに映る。


 いくら自国の資料を焼き払っても、中国という記録国家があり、近代は日本にも山のような一次資料が存在する。


 歴史は顔の整形とは違う。しかし韓国人はそうは思っていない。写真を焼き払い整形の痕跡を消したとすれば、整形前の顔は二親の容姿から連想するしか手段がない。だから、整形はしたもの勝ち。同様に歴史歪曲もしたもの勝ちという訳だ。


 整形のメリットとして自信が出るという言葉を韓国人からよく聞く。歴史も国民の自信が出るようなストーリーにして、それしか教えなければ、子供らはそれを信じて、やがて歴史は書き換わると思っておられるようだ。


 おじさんは思うのだが、学問というものを韓国人はどう考えているのか。歴史という視る角度によって解釈が異なる学問を共通の研究で解決しようとすぐに言うが、それ自体が先に挙げた理由により誤っているのである。



 それが分からなければ、共同研究しても何の意味もない。事実からの逸脱ぶりが、立場上、分かるというそんなレベルではないから、言う言葉がないのだ。研究すると困るわけではない。不毛がすでに見えているから、積極的に加わろうとしないだけでなのである。



 つまり自説を強行に押しつけるのが狙いなのが見え見えなのだ。一つ言っておこう。お宅の大事な南大門が火災に遭い焼失したとき、復建出来たのは併合時代、日本人がこんな歴史的な建造物に平面図がないのに驚き、詳細な図面を残しておいてくれたからでしょう。そういう国なんですよあなた方の国は。



 この話に歴史的な機微を感じないなら、歴史を語る資格はない。



 前に紹介した〝某国のイージス〟さんの非韓三原則を思い出そう。某国に対しては、最終的に〝助けない・教えない・関わらない〟で行くしかないと思う。アジアにはもっと心を通わせることが出来る国が幾らでもあるのだから。