反日的日本人という立ち位置がお気に召している方々は、所詮、たかだか今の日本の法律に抵触しているに過ぎないと思っているようだ。何しろあの方々は、もっと広大且つグローバルな視点を持っていらっしゃるのだろうから。
区々たる島国の法律など何するものぞ、片田舎の法律に違反して何が悪い。
という訳で、旅行代理業には免許が必要だが、大分教委のお歴々は何故、免許が必要かという意味も分かっていない、と言うより、分かる必要がないと言うことなのではないか。
違法性の認識も欠如している。大義のためには法に違背することも厭わない。こういう連中が子供の教育を牛耳っている事実に、おじさんは慄然とする。
この教育委員達はおじさんと同世代かそれ以下の連中である。もちろん、我が国には強力な左翼の系譜があり、系譜を絶やさないように懸命な努力をしてきたことは、嗤いながらではあるが評価しても良い。
おじさんが育った環境で左翼思想に惹かれるというのは、普通ではない。右肩上がりの経済状況だったのだから、戦前戦中に比べ格段にいい暮らしをしながら、資本主義を否定するという自己欺瞞を感得しない鈍感な人間しか陥らないだろうとおじさんは思うのだが、そうではないという意見もおじさん自身幾らでも列挙することはできる。だからこれに関し議論するつもりはない。
前にも言ったことだが、おじさんが左翼思想と相容れないのは、精神性を無視した唯物論だからなのだ。これは理窟ではなく、アレルギーと一緒で全く相容れない思想なのである。
自由と平等のどちらを採るかと問われれば、自由とおじさんは即座に答える。
これまで成立した社会主義国家、共産主義国家は例外なく強権的に外部の情報を遮断し、国民に不自由を強いた。異なる思想を一切許容せず、所謂、異分子は矯正するために隔離したり、排除(殺戮)した。それでどれほどの平等が実現し得たかというと、手近なところでは中国の代表的な人々は数千億円という小国の国家予算なみの財を築いていらっしゃる。
自由主義的手法を取り入れ、かつて人類が経験したことのない超格差社会を実現された。
これはこの思想そのものが持つ宿痾のような欠陥である。今しきりに共産主義を掲げている人々は、国家成立後、しかるべき地位に就けるという安心感から、このような非道な所行にも平然としていられるとしか考えられない。
いつも反日的日本人はそれなりに面白い話題を提供してくれるのだが、今回の大分県旅行業教育委員会はコンプライアンスという言葉の意味が理解できる、まともな人材と総入れ替えすべきである。おじさんはそれを強く要求する。
そう言えば、大分の教員不正合格はどうなったんだ。不正合格者はクビになったようだけど、請け負っていた方の解明は進んでいるのか。力のない者が合否を左右できる筈はないのだから、今回と同じ連中が関わっているんじゃないの? コンプライアンスの欠如した同じ匂いがするんだけどね。