実話怪談 Ⅰ へ
実話怪談 Ⅱ へ


 竹書房文庫の実話怪談の著者は、例えばヌリカベかと思うような話を聞いたときに、ヌリカベという言葉を使わず体験者の言葉をそのまま使用することを心がけているという。


 それは著者自身が先入観に囚われないためであり、読者に先入観を与えないためでもある。それが話者に対して一番真摯な態度だと言うんだね。


 作家の中には自分で裏を取りに行く人もある。たとえば心霊スポットで体験した事柄などは、同じ体験はできないにしろ、スポット自体は現存していることが多い。だから相手が真実を語っていなければ、裏取りでほぼ分かると言うことなのだろうか。


 おじさんはとてもじゃないが、そんな所へは行きたくない。喜んで読ませて貰いはするが、出来るならそんな現象とは最も遠い所で生活を送りたいと思う。


 また、怪談すなわち怪なる話は、何も超3次元である必要はない。現存している人の恨みつらみが背景にある場合がある。人はどこまで執念深くなれるのかという証しのような話が次のそれだ。


 ある人が父母はじめ身内が次々と事故や病で死ぬので、何か変だと思い友人に相談すると、霊能者を知っているからというので、一度会ってみることになった。その人は会うなり部屋を見せてくれと言い、後日、相談者の家に来てくれた。霊能者は次々と部屋を点検して行ったが、ある部屋へ入ると、ここだと押し入れの中に顔を突っ込むようにして、新旧の年賀状の束を取り出した。


 霊能者は、長い時間を掛けて1枚1枚点検していたが、束の中から10枚ほど、さる所からの年賀状を取り出し、「身内が次々と死んでいったのはこの年賀状のせいです」と言って、年賀状を2枚に剥がし出した。すると、その下に絵とも文字ともつかないものが現れた。


 霊能者が説明するところによると、毎年、年賀状に呪いの符を書き、その上に紙を貼り年賀の文言を書き、相手に送りつける『累(かさね)』という呪法があるらしい。一定回数届くと効力が現れ、家族や親類縁者が次々と亡くなったのはそれが原因だという。親類縁者が悉(ことごと)く死に絶えるまで呪術の効力が続くそうだ。


 確か、特に呪法返しをしなくても、発見されれば呪法の効力は失われると書いてあったと記憶している。恐いのはそこからの年賀状はまだ送られてきているということだ。もちろん差出人は架空でその住所には存在していない。

 
 相談者はこういう力のある霊能者に巡り会えた幸運によって、一族絶滅といった危難を回避できた訳である。


 実話怪談の中には守りや御札がかなりの頻度で登場し、功を奏している様子が書かれている。寺の僧侶も危難を回避させたり、和らげたり、憑依霊を取り除いたと思しき場面が描かれている。やはり神社や寺、文字、お経や祝詞には力があることがわかる。


 実話怪談というのは、短い物がほとんどである。いうなれば恐怖のショートショーである。


 話は変わるが、動物を虐待していた人間がかなり酷い目に遭うという話は、10指に余るほど収録されている。逆に動物にまつわる感動的な話も数多く収録されている。例えば、人間の身代わりになったとしか思えないような話である。


 我々は小難しい屁理屈を弄するのではなく、前者は動物にも魂があり、死後、復讐を遂げたと解釈すればいいし、後者は愛してくれた人間へ恩返ししたと自然に受け取ればいいとおじさんは考えている。


 実話怪談の執筆者は10人から20人といったところか。彼らが日々収集して選りすぐりのもの、テーマに沿ったものを発表する場が、竹書房文庫である。


 おじさんは、収集家(作家)の皆さんには危険な橋を渡っていただき真に恐縮だが、今後も安全なところに身を置き、恐怖のショートショートを楽しむというスタイルを続けるつもりである。


終わり