おじさんの家内と娘が韓流ドラマを観ているので、おじさんも韓国時代劇とやらを少しの間、観ることがある。流石に国家事業として制作なさっているので、綺麗なお召し物に滑稽なほど大きな髪型がどんどん進化?して本当にその時代にそんな頭をしていたのか、とふと思い、即座にこれは韓国ドラマであることを思い出す。
何をドラマで着ても構わない。どうぞご勝手に。日本人を極悪に描いても構わない。お好きなように。何なら時代劇に潜水艦を登場させても結構。もともと史実を無視して自分たちが気持ちの良いように描くのだから。
だが、彼らの脳はどういう仕組になっているのか、ドラマを観る内に、我が国民は昔から優秀でこんなに頑張ったけれど、純粋な韓国民は悪知恵に長けた日本人のせいで十分に能力が発揮できなかった。まあ、おじさんなどが観ると、噴飯物の歴史ストーリーに見えるが、それが正しい歴史だと信じ出した疑いがある。
何を語り何を教育し何を信じても結構だが、それは自国内に止めていただきたい。外交と称する勝手な歴史認識を広め外国(日本)を貶める事を国家事業として推進するに至っては、日本流の反論するのも大人げないなどと言っていては、偏見をもたれそれを是正するというマイナスな作業に労力を割かれてしまう。
もうそろそろこちらから打って出ても良いだろう。朝鮮が如何なる国であったか。小中華を任じ、他を夷狄戎蛮(いてきじゅうばん)と蔑みつつ、支那の属国として卑屈に歴史を重ねてきた事実は如何ともし難いのではないか。
我が国はそれを言っているのだ。そこを目をつむり併合や有りもしない慰安婦問題という所に力点を置く姿勢が、近代国家? と疑問視されるのだ。
歴史は塗り替えらるものだという本家中華の易姓革命を何時までも信奉し、せっせと自分の中にある、日本が如何に貴国の救世主であったかを、懸命に消している姿を見ていると、哀れで涙を誘う。
日本人は限界を迎えた。これからは強烈に反論すると同時に、先手を打って朝鮮の真の歴史を発信するだろう。
無論、中国に対しても同様である。