1番好きな犬種 ブログネタ:1番好きな犬種 参加中
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 おじさんには犬に対するトラウマがある。いや、トラウマというほどのものではないが、ちょっとしたきっかけで想い出すことがある。


 まだ小学校へ上がる前の頃、何故、一人でそこへ行ったのかは分からないが、人里はなれた場所で日本犬の子犬と出会(でくわ)した。


 互いに一瞬驚き、凝固したが、子犬の足下を視ると、どうやら甲の少し上がざっくりと切れているようだった。出血は止まっているようだ。 


 もちろん首輪もなく、遭った場所から推測して、明らかに捨てられたものと思われた。


 幼いながら、当時のおじさんも、捨て犬に構うとやっかいなことになるとの知識はあって、そっと姿を消そうと思ったけれど、あいにく川沿いの土手の一本道で、まくことができない。


 草むらに姿を隠したりしてはみたが、子犬といえども、耳鼻目いずれをとっても、人間の比ではなく、簡単に見つけられて、今思えば子犬にとっては遊んで貰っているようなものだったかも知れない。


 「付いてくるな、向こうへ行け」と言って聞くはずもなく、どこまでも軽くびっこを引きながら付いてくる。


 しかし、何もしてやれないのなら、ここは心を鬼にしてして、完全無視のまま人家のある辺りまで行き、そこでまこうと決心した。


 しばらくして、人家がちらほら点在する所まで来たが、塀があったり、飼い犬がいたりしてうまくいかない。そうこうしているうちに、ついに人家の密集する町中まで来てしまった。


 ここで予定の行動に移ろうと考えたが、国道がすぐ側にあり、車の通行量も多いこの場所で自分はうまく逃げられたとしても、遺(のこ)された怪我をした子犬にとっては極めて危険である。


 せめて国道の向こう側に置いてやれば、何とか野良でも生きていけるかもしれないとか、幼い頭で飼ってくれそうな家を思い浮かべたりしてみたけれど、既に犬が居たりしてすぐに壁に突き当たってしまった。


 もちろん、おじさんの家で飼えないのかとお思いのことは承知している。詳しく書く余裕はないが、自分自身が親に捨てられ、この子犬と変わらない境遇だったので、それは論外だった。


 こんな所で放り出し、車にはねられたなどと聞きたくないし、かといって名案がある訳でもないというどん詰まりの状況に陥っていた。


 万策尽きて何故か町中にある小さなお宮の縁に子犬と腰掛けながら、途方に暮れていた。


 やがて日が落ち、温度も下がってきた。子犬もひもじそうだが与える物は何もない。自分も空腹を我慢しつつ、今頃、祖母が心配しているだろうと、尻がじりじりするような焦燥感にかられながら、横の犬を見ていた。


 そう、時期は、春前のちょうど今頃の季節だったのではなかったか。


 じっとしているのも寒いので、犬を抱きかかえて国道を横断し、目的もなく歩いていた。

 
 そこへ偶然出てこられた小学校の先生の奥さんが声を掛けてこられ、説明をしているうちに涙が止まらなくなった。


 子犬が哀れだったのか、力のない自分が情けなかったのか、おじさんを溺愛してくれる祖母が心配しているのが手に取るように分かっているせいなのか、自分の境涯が子犬と似ていたせいなのか、あるいは万策尽き果てたときに声を掛けて貰った安堵感からか、何もかもがない交ぜになって泣くしかなかったと思われる。


 結局、その後のことは覚えていないのだが、子犬を奥さんに預けて帰宅した。


 その後、成人して先生の息子さんと年に何度か麻雀をするようになって、その人が独身で、家で塾を開いていたものだから、いきおいお宅を訪問するようになった。


 初めてうかがった時に、20年近く前の話なのに、名前を言ったとたん、「あの子犬の」と話がそちらに飛び、それ以来、ほぼ半年に一度訪問する度に、奥さんの、子犬の話から始まり「やさしいいい子だった」という結論までのお馴染みの一説を聞くことになり、お陰で、雀友どもからは一晩中、「そのなれの果て」などと言われるオチがついた。


 結局、子犬のその後の話は怖くて聞けなかった。おそらく自分で飼うか、飼う人を見つけて貰ったと信じている。


 今考えても、誰よりも信頼できる人に声を掛けて貰ったと感謝している。ちなみに学校の先生の家だとか、その奥さんというのも後から得た知識である。


 前振りが長くなったけれど、今、家にはシルバーグレイの肥満トイプードル(♀)がいる。


 これを飼うようになったきっかけも面白いが、そのは話はいずれ……。


 で、回答はトイプードルです。