日本は多神教である。古事記・日本書紀を見てもそれは明らかである。
だが、おじさんが言う本来の神は唯一絶対神であり、八百万の神は、神が自分の意思を実現させるために創られた絶対神の下位に属する神である。
下位と言っても、人の及ばない力は備わっており、時に怒り、時に嫉妬する神は絶対神ではない神である。
このシリーズ? では、絶対神を漢字で書き、それ以外の神をカミとカタカナ表記すると以前に書いた。以下、それに倣(なら)う。
実録怪談には、1冊に1話ぐらい涙を誘う話が収録されている。座敷童(ざしきわらし)が話し手を護るためにドロドロした怪物に呑まれていく話は胸が痛くなったし、次の話は本当にしばらく涙が止まらなかった。
ある定年を迎えた主人公(体験者)が庭いじりに精を出していると、毎日、敷地の横を往復する一匹の猫に気がついた。
暫く経って、猫がある方向に行くときにだけ、何かを咥えている事を発見した。
ただ、そういうものかと見送っていた主人公は、あるとき思い立って猫の跡を付けてみることにした。
猫が行き着いた先は、崩れかけの防空壕跡であった。
入っていったあと耳を澄ませていると、鳴き声がする。
主人公がなんとか入れる隙間をつくり入ってみると、何とそこには骨が堆く積まれており、よく視るとそれはすべて猫の骨であった。
これだけ集めるのにどれほどのj時間と労力がいったろうか。
体験者は気持ちが悪くなるというよりも感動して、「これがおまえの弔いの仕方か」と声を掛けた。
近づいて来た猫をかき抱いたところ、その猫は一声残し、体験者の手からボロボロに崩れて落ちていった、という話である。
猫自体もこの世の者ではなかったのだろう。
せっかく集めた骨が気になったのだろうか。
その後、きちんと防空壕は埋められ、入り口はきれいに塞がれたそうである。
この話には幾つもの仮説が成り立つ。
まず、猫にも魂があるということだ。
死後、人の目に映る形となって現れているからだ。
気がかりというか、一種の執着をもち、この世に止まらせている、ということだ。
猫にまつわる話は多く収録されている。ほとんどは人に害を及ぼす対象というか、怪の予兆として猫の姿が出現するというパターンが多い。
特殊なのは、先程の話と、もう一つ猫が集団で偽物の隣の男の子を出現させ、生前、群れのリーダーであった仲間の死んだ死骸を体験者に埋葬させるという話がある。これは、感動はそれほどないし、厳密には魂の話ですらない。何故なら、生きている猫の集団の思い(思念)が子供を出現させているからである。
猫は何故か大体、悪いモノの象徴のような役割で登場する。
猫に魂があるとすれば、それ以下の小動物、アメーバーのようなものとか、大腸菌のようなもの、さらにはウイルスのようなものにも、魂はあるのだろうか。
骨を拾い集めた「弔い猫」は、人の性質を見極め、さりげなく注意を惹いて、あとを着けさせるように仕向けるほどの知能がある。
魂が無いと言うより、あるとした方が整然とした仮説ができるであろう。
あと、考察しなければならないのは、成仏していない数多の霊は、魂の進化の中でどのような位置づけになっているのだろうか、という点である。いずれ、考察してみたい。
続く