『神との対話』シリーズで有名なニール・ドナルド・ウォルシュの対話シリーズの最終章と位置づけられた著作に『神へ帰る』というものがある。


 まだ1/3ほどしか読んでいないが、死というものを扱っている。それを扱うことによって生を浮き上がらせる仕掛けになっているようだ。


 例によって、ニールがしつこく繰り返し質問し、『神』は丁寧にそれに答えている。つまり、質疑応答の体裁になっているので、おじさんのように久々に読む者でも、理解できるている。


 おそらく初めて彼の著書を読んだ人でも、好き嫌い、信じる信じないは別にして、読みやすいスタイルと言えよう。


 ニールの対話相手である『神』は言っている。縁のない者はこの本を手にすることもない、この書物に出会い、読んでいると言うことは、そのように運命づけられているということだ、と。


 世界で膨大な冊数が売れているということは、手にするだけの縁(えにし)の人を除き、夥しい人が意味あるもの、すなわち神の言葉として読んでいることになる。


 確かに読んで批判する人もある筈で、その人々は別にカウントしなければならないだろう。だが、これを荒唐無稽と言うか、それとも神の言葉として読み、批評するかによって違いはあるにしろ、それらを一纏めに減じても尚、膨大な数の人々の啓蒙に役立っていると推定される。


 おじさんも、もっと早くこの本に出会ってさえいれば、長く苦しい虚無を抱いて生きる時代を送ることもなかったし、孤独な思索を重ねることもなかった。


 だけど、本と出会う出会わないが運命だとすれば、会う時機も巧妙で精緻に計算されたタイミングになっているに違いない。


 どの経験も無意味なものは何一つない、と、ここでも神は言っている。


 もしこの拙文を読んだとしたら、あなたは神と袖すり合わせたのである。


 買って読むか、読まないかも既に決められている。あなたはどうする?