時事通信 1月10日(木)23時57分配信
バスケットボール部顧問(47)の体罰を受けた翌日に2年の男子生徒(17)が自殺した大阪市立桜宮高校で10日、バレーボール部顧問の男性教諭(35)の体罰隠しが新たに発覚した。急きょ記者会見した佐藤芳弘校長は「軽度の体罰と認識した」と釈明したが、調査していれば自殺を防げた可能性があると認め、苦渋の表情を浮かべた。
午後9時半から市役所で行われた会見の冒頭、佐藤校長は「バレー部で体罰が発覚し、前日の会見で伝えるべきだった」と述べ、岡山典史教頭と共に深々と頭を下げた。校長判断で市教育委員会に報告しなかったことを明かし、「以前停職処分を受けている教諭の将来を考えた」と述べた。
YahooJAPANニュースより全文引用
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う~ん、教育と体罰――こいつは昔から打ち返す波のように、忘れたころに事件が起き議論が湧き起こる。
内容を大きく分けると、だいたいサヨク的思考の人々は絶対反対を主張し、保守派は一定の教育的体罰は是とする傾向があった。
今回の桜宮高校のケースの報道をみると、教育的と考えているのは暴力をふるっていた顧問だけのように見える。
こういうタイプは体育系の教師や警察官に見ることができる。警察官は暴力によって犯人から供述を引き出しても、裁判でいいことは一つもない。よって、拳を壁に叩きつけても暴力を禁じているだろう。
だから、今や体罰は教育現場のほかには、少年サッカーか野球のリトルリーグでしか見られなくなっている。
暴行罪の犯人(敢えてこの教師をそうよぶ)は厳しい指導で成果(トロフィー獲得)をあげているそうで、校長も言いにくい面があったのだと思われる。
だが、この校長さん、なんと体罰した教諭に聴取しただけで事を済ませていた。まさに片手落ちの見事な事例を自らお作りになった。
生徒の生命と将来よりも暴力教諭の将来を慮られたという事であり、長年、学校という未完の人間に囲まれ、社会の波風に晒されていない分、自らの成長も停止なさっている人間の典型的な発想に陥ってしまったと言えよう。
自分の怒りの矛先を未熟な生徒にぶつけた暴力教諭、いっぱしの配慮で対処したつもりの校長、もしこのまま貴様達が教師を続けるというのなら、相当な鉄面皮の持ち主と言わざるを得ない。
何より、一人前の社会人として間違った判断をし、生徒を死に追いやった責任をどう取るのか。一人一人の命は地球よりも重いなどと訓示したことはなかったか。
それは決して正しくはないけれども、教育者としては致し方ないと認めよう。だが、これから生徒の前で何をどう話すというのか。教師や校長に愛の片鱗でも感じていれば、生徒は死んではいなかった筈だ。
貴様達は、愛とは何かをもう一度、一から徹底して考え直せ。
翻って、自殺した生徒の父母に言う。悲しみを乗り越えて、教師個人には刑事罰と重い民事責任を問うのだ。また、校長と市には民事責任を問え。命は戻らないが、命の重さをお金に換算することはできないが、勇気を奮い起こして、彼らに鉄槌を下すのだ。
息子の無念を晴らすのだ。
おじさん、はからずも今回は、サヨク評論家と同じ様な意見になってしまったが、教育的体罰は是である事に変わりはないよ。