このところ、所属する色々な団体の役目を果たすために、時間が取れなかった。


 ニュースに絡め言いたいことは次々と出てきたものの、時間がなくては如何ともし難い。


 こんな時は、おじさんの今生のテーマである神に関する事を書くしかない。


 実話怪談を読み続けていることは前に書いた。比較的薄い文庫本だが、よくもまあ次から次へと話があるものだと感心する。 (・。・;)


 著者や編者の前書などを読むと、コレクションの中から選び抜かれたもののようだし、話すと危害が及ぶ類のものもあって、そういうものに取りかかると、躰(からだ)に変調を来す事もあるそうだ。


 つまり、ある作家を考えただけでも、全てを出し切っていないということであり、中にはある話を譲り合う様子が書かれている怪談もある。


 ストックの中には、書いてはいけない類の話もあるということだ。だから、書きたいときに書けばいいいうようなものではなく、書くタイイングも難しいようだ。


 書くと必ず高い評価を受けるであろう書かれていない怪談も、読んでみたい気がするが、著者や関係者に災難が及んでは気の毒だ。勿論、自分に災厄が及ぶのはもっと御免だが……。


 種々の理由で発表したいが発表できないもの、陳腐(ちんぷ)すぎるもの、それらを除いてもこれだけの数の怪話が集まるということは、大袈裟ではなく、それこそ人の数だけ怪談はあるという事になるのかも知れない。


 いや、所詮、創作さと仰る向きには、もしその怪談が創作だとすると、著者は大変なストーリーテラーだということになる。


 あるいは本格的なミステリーを書いても成功するかも知れない。


 それより、変に疑うよりも、おじさんと同じ様に、素直に実話として聞き、怖がったり、腹を立てたりしていた方がいいのではないだろうか。


続く