∞ 県内ゆかりの人たち 鶴岡愛し だだちゃ豆大好物
鶴岡市出身で昨年秋に文化勲章を受章した作家の丸谷才一さんが13日、87歳で亡くなった。鶴岡市名誉市民で、7月に名誉県民の称号を受けたばかり。鶴岡を愛し、だだちゃ豆が大好物だった文学界の重鎮の突然の悲報に、県内のゆかりの人たちからは驚きとともに、惜しむ声が相次いだ。
朝日新聞 my山形より抜粋 続きは>>こちら
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今回はおじさんの数十年前の記憶だけを頼りに書くから、一番あてに出来ない投稿になる。
この丸谷才一という人は、おじさんの心の師である。
別に知己が有ったわけではない。
最初に丸谷の文章に接したのは、中央公論に連載していた、のちに『文章読本』という名で刊行されることになる連載の何回目かであったと思う。
ちょうど例文に古文を用いてある回で、地の文も歴史的仮名遣いで、1回分すら読破できなかった。
最初の印象は、老年の国語の大家が一般人のために講義をしている様に感じた。
次に接したのは、古本屋で『日本語のために』という本を手に取った時である。
歴史的仮名遣いがいかに優れた物であるかとか、私小説を厳しく批判したものとか、広く日本語に関するエッセイを纏めたもののようであった。
早速、購入してすぐさま読了した。そこで初めて丸谷は意識的に旧仮名遣いで文章を発表していることを知った。
もちろん、件の本も旧仮名遣いであったが、十頁も読むと何の違和感もなくなっていた。
あれ?って感じだったね。
そこから、石川 淳を知り、福田恆存を知り、ひとしきり旧仮名遣いを用いた文章ばかりを読んでいくことになる。
そんな折り、『文章読本』が刊行された。
僅かな所持金の中から思い切って買った。
最初、中央公論であれほど難しいと感じた文章は、平易簡明で構成も教科書の様に、おじさんのような者でも着いていける様に気配りされていた。
いまでも忘れ得ないのは『日本語のために』の中に、批評の中で良い例として収録されていた三好達治の『雪』という詩である。
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪降りつむ
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪降りつむ
頭を殴られたような衝撃を受けた。たった2行で、深夜、音もなく雪が降り注いでいる情景が切り取られている。
ここでは丸谷の文章を出すのが常道だろう。それを三好達治の詩を出すなんて、と思われるだろうが、ここが丸谷のいいところで、それによって取り上げた書き手に注目が集まることを暗に狙っているとおじさんは解釈したのだ。
『文章読本』の中で丸谷は究極の極意として、「ちょっと気取って書け」と締めくくっている。
以来、平易簡明、達意、ちょっと気取って書けがおじさんの信条になった。
今まで申し訳なくて、勝手に入門した貴方の弟子とは口に出せなかった。
幽明界(ゆうめい・さかい)を異にした今は、師の視線を気にせず書けるようになった。
嗚呼、学んで数十年にしてこのレベルか、と嗤われずに済む。
ここでお薦めする。少しでも文章の上手にならんとする人は、丸谷才一の『文章読本』を読むべし。
おじさんは上手の手本を見せることは出来ないけれど、上手・達者になるための道案内はできる。
それがおじさんに出来るたった一つの供養だと心得ている。
あの世で石川 淳やたくさんの知己と語り合われるがよろしい。
古典を愛した貴方なら、その気になれば、紫式部とも会えよう。
持ち前の大声で驚かせてみては……。
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今回はおじさんの数十年前の記憶だけを頼りに書くから、一番あてに出来ない投稿になる。
この丸谷才一という人は、おじさんの心の師である。
別に知己が有ったわけではない。
最初に丸谷の文章に接したのは、中央公論に連載していた、のちに『文章読本』という名で刊行されることになる連載の何回目かであったと思う。
ちょうど例文に古文を用いてある回で、地の文も歴史的仮名遣いで、1回分すら読破できなかった。
最初の印象は、老年の国語の大家が一般人のために講義をしている様に感じた。
次に接したのは、古本屋で『日本語のために』という本を手に取った時である。
歴史的仮名遣いがいかに優れた物であるかとか、私小説を厳しく批判したものとか、広く日本語に関するエッセイを纏めたもののようであった。
早速、購入してすぐさま読了した。そこで初めて丸谷は意識的に旧仮名遣いで文章を発表していることを知った。
もちろん、件の本も旧仮名遣いであったが、十頁も読むと何の違和感もなくなっていた。
あれ?って感じだったね。
そこから、石川 淳を知り、福田恆存を知り、ひとしきり旧仮名遣いを用いた文章ばかりを読んでいくことになる。
そんな折り、『文章読本』が刊行された。
僅かな所持金の中から思い切って買った。
最初、中央公論であれほど難しいと感じた文章は、平易簡明で構成も教科書の様に、おじさんのような者でも着いていける様に気配りされていた。
いまでも忘れ得ないのは『日本語のために』の中に、批評の中で良い例として収録されていた三好達治の『雪』という詩である。
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪降りつむ
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪降りつむ
頭を殴られたような衝撃を受けた。たった2行で、深夜、音もなく雪が降り注いでいる情景が切り取られている。
ここでは丸谷の文章を出すのが常道だろう。それを三好達治の詩を出すなんて、と思われるだろうが、ここが丸谷のいいところで、それによって取り上げた書き手に注目が集まることを暗に狙っているとおじさんは解釈したのだ。
『文章読本』の中で丸谷は究極の極意として、「ちょっと気取って書け」と締めくくっている。
以来、平易簡明、達意、ちょっと気取って書けがおじさんの信条になった。
今まで申し訳なくて、勝手に入門した貴方の弟子とは口に出せなかった。
幽明界(ゆうめい・さかい)を異にした今は、師の視線を気にせず書けるようになった。
嗚呼、学んで数十年にしてこのレベルか、と嗤われずに済む。
ここでお薦めする。少しでも文章の上手にならんとする人は、丸谷才一の『文章読本』を読むべし。
おじさんは上手の手本を見せることは出来ないけれど、上手・達者になるための道案内はできる。
それがおじさんに出来るたった一つの供養だと心得ている。
あの世で石川 淳やたくさんの知己と語り合われるがよろしい。
古典を愛した貴方なら、その気になれば、紫式部とも会えよう。
持ち前の大声で驚かせてみては……。