ここ何年か毎年シーズンが来ると、ノーベル文学賞の受賞候補に挙がる村上春樹、今年は中国の田舎臭い風貌のおっさんに決定、またもやお預け。
ノーベル文学賞は平和賞ほどではないが、政治的配慮が匂う賞である。
おじさんも大江健三郎が受賞したときに、何故?と思った。別に大江の受賞に政治的な配慮があるという訳ではなく、大江の作品がどうこう言えるほど読んでもおらず、ただマスコミから聞こえる大江の思想ぽいものがおじさんと肌が合わないというだけの事だった。
極めて少ない読書範囲から言うのだが、文章がうまいと思ったことは一度もないし、日本的な美を表現したとも思えなかった。
安部公房も海外ではかなり評価が高いと聞いていたが、彼のような作風の作家が評価されるには翻訳者の力が大きいはずだから、正確で文学的な翻訳が為されているんだなと、妙に感心したのを覚えている。
哀しいかな安部工房は早く死んでしまった。三島由紀夫も……。
さて、肝心のノーベル文学賞の話だが、発表の翌日に上の安部公房の件まで書いて、今まで放置したまま数日経っているので、受賞者の詳細も明らかになっているんだろうが、おじさんが目に付いた物を読んだ限りでは、直感で予期していた様に、この御仁は共産党礼賛主義者か、長い物に巻かれるタイプの人のようだね。
中国からは過去に人権派というか、共産党政権を批判した作家にノーベル賞を与えていたと思うのだが、此度はそう言う人がいると聞いたことがないので、そんな予想をしてみただけだけれど、当たってたみたいだね。
科学の世界では、業績が明らかになるので、なかなか政治的な配慮は難しいだろうが、平和・文学といったふわふわしたものには、必ず政治的思惑といったことが付きまとう様に見える。
だいたい共産主義国家で芸術が発展する筈がないんだよ。宗教も芸術も共産党の政策下にあり、逸脱するものは認めないんだから、都合のよいもの、抵触しないものが存在を許される。
真の芸術家であれば、束縛するものに立ち向かわなければならないだろう。
それができないのなら、芸術家をやめて黙っているか、生活の糧を得るために書くしかない。まあ、ソルジェニーツィンのように監獄に収監されて書くという手もあるが……。
おじさんの感じるところ、大江の場合はどこか軽くて嘘くさい。
ちょうど、今回の莫言といい勝負ではないのかな。いや、莫言が監獄と隣り合わせの中で書ける題材を選び苦労しているのに対し、大江の場合は誰の束縛も受けず、大きな自由の中で、今の社民党と見紛うばかりのご発言をなさっている。まだ莫言の方が上か。
小説家が必ずしも勇気がある訳ではない。また、小説家が必ず正しいことを言う訳でもないことを覚えておこう。