笑いは人間のみに与えられた能力であり、神の祝福である。故に、人を笑わせる仕事は高度で崇高な仕事である。


 これはおじさんが今思いついて書いたものだが、かつて誰かが言っていたこと、書いていたことをなぞるか組み合わせたと思われる。


 だから、オリジナリティーを主張するつもりもないし、同じ言葉を寸分違わず書いてあったとしても、盗まれたとも思わない。


 何故、いきなりこんな事を言うかというと、20歳前に文学作品で盗作とされる文章とオリジナルの文章を読み比べてみて、何故これが盗作になるのか理解できなかった想い出があるからである。


 確かに似たような文章であったが、数行の中に同じような情景描写と心理描写が為されていたけれど、仮に全く同じ文章であっても、なぜそれがいけないの? と思ったのである。


 日本語は貴方だけのものではないでしょう? 貴方もかつて誰かの著書を読み自分の文体を完成されたのでしょう? 言葉とはそういうものでしょう?


 日本人なら、言葉を組み合わせて自由に文章を作るだろうし、一つの作品の中で心理描写や情景描写で似たような表現が出てきたとしても、だから盗作になるのなら、おちおち文章を発表出来なくなるよ。


 それとも毎回、「此処に何方かの書かれた文章と似たような文章(表現)があるかも知れませんが、どうかご容赦下さい」とでも書くしかない。 (>_<)


 いや、事は文学すなわち芸術だからという向きもあろうが、どのような有名な文章でも、それが芸術だという理由で、あとから書く人々を制限するのなら、そんな文学はないほうがいい。(ちょっと乱暴かな?)


 川端康成『雪国』の書き出しとか、島崎藤村『破壊』の書き出しは有名だが、作家はトンネルと書くと『雪国』を連想して雪という言葉を入れるのを避けるだろう。あるいは表現を変えようと思うだろう。だから、使えるとしたらパロディーくらいなものになってしまう。


 結局、部分の描写が似ているから盗作と騒ぐより、作品全体が不朽の名作たり得ていれば、後人は表現を変えるか、描写を飛ばすだろう、ということだ。


 えっ、どちらがすぐれた作品だったか? 何も覚えていません。どちらも大したことなかったんじゃないですか。どちらの作品も読む気にならなかったから……。



 盗作と密接に関連する著作権のことを考えるうちに青空文庫の事を思い出した。


 そこは著作権の切れた作品や著者や権利者の許諾を得た作品をボランティアの力を借りてテキスト形式やHTML形式等の電子ファイルにして無料で閲覧に供しておられるサイトである。


 教科書に出てくるような有名な作家は、実は著作権が切れている事が多い。だったらここを覗かない手はないね。


 またサイトの協力者たちが、便利な閲覧ソフトなどを作ってくれているから、それを利用するのもいいかもね。


 
 青空文庫はこちら >>  http://www.aozora.gr.jp/


 それじゃ、また…… -y(^o^)..oO○ ぷふぁ~