神について 8


 さて、このツキというものの正体はなにか。


 ツキを上げるとか運気を上げるという事は、ギャンブラーにとっては当然の事で、ゲンを担ぐとかケチが付くという言葉が昔からのあるように、ギャンブラーのみならず、誰でも気に留めていたようである。


 おじさんに言わせれば、その言葉は、世間の人々が神仏に現世利益を求める身勝手の最たるもので、靴を左足から履くとか、畳の縁を踏まないとか、人がどんなに笑おうと馬鹿にしようと、現にそういうものがある以上、ツかないよりツいていた方がいいに決まっている。


 それが何の神様の霊験によるものかは知らないが、何という神様でも良い、自分にプラスになるように人生が回れば、それは良い神様だという訳である。


 神様仏様と困ったとき、自分に都合のいいときに拝み祈り、普段は知らぬ顔を決め込む。


 これも半分は神仏を信じていないからだし、もし霊験が得られたら信じてもいい、といったギブアンドテイクの関係も、先にギブするのは神さんあんただよという姿勢である。


 ここには神は人間よりも力があるけれど、創造神といった大層なものではなく、時に怒って仕返しすることもありそうな、いたって人間らしい神様がいる。


 八百万の神々という日本らしい信仰(無信仰?)の様子がかいま見られる。


 もちろん、おじさんが神と言うときは、万物の創造神の事を指している。


 ここで疑問が出てきた。それは運不運とかツくツかないの場合は、この世、つまりこの3次元空間に内在しているシステムの表れで、神とは無関係と考えていいのだろうか、という点である。


 当時、おじさんは、絶対神の神のほかに、人よりも少し優れた力を持つ諸神がいて、その違いはレベル(格)の違いに起因すると想像してみた。


 世間一般の神様像のように、創造神に遠く及ばない、諸神の一面、諸神の力の一面が表出していると考えるのだ。


 ただ、その場合、創造神がいるのかそうでないかによって、奥行きが違ってくる。


 創造神がなければ、嫉妬深く器量の小い人間的な神々だけとなり、これが人の及ばぬ力を持っているだけに質が悪い。


 下手に機嫌を損ねようものなら、なにをされるか分かったものではない。だから、人々が恐れ、腫れ物に触るような扱いをするのも頷ける。


 創造神が存在する場合は、諸神も神の手の内にあり、まあ、俗に言う睨みを利かせている状態である。


 結局、神など存在しないと言い、ツキやら運やらも単に偶然の確率がそうさせたに過ぎない、という無神論の立場に立てば、何も悩むことはない。


 自分がこの世にいるのは、偶然、今の親から生まれただけのことだ、と割り切ることが出来る。


 一方、信仰心の厚い人も、神に身を委ねているのだから、こちらも安心だ。


 困るのは、おじさんのように、神は否定しても、身近に起きる運や不運がとても偶然とは思えないタイミングで起き、その原因が何処にあるのか、とつい考えてしまう質の者である。