何と言っても、この世の不思議は自分が生きている事だよね。
悩み、苦しみ、悲しみ、痛み……マイナスなことを考えるときに、ハッと自分が今、生きていることの不思議を思う。いつか終わりが来ることに改めて気付き、愕然(がくぜん)とする。
進化論によれば、偶然が重なって生命が誕生・進化したということらしいが、キリスト教の信者などには、子供に進化論を教えるなと運動する者もいるとニュースでやっていた。
どちらが正しいと論評する資格は、おじさんににはない。方や科学、方や宗教――どちらも相容れない立場からの主張だから、子供も困るよね。
神は絶対神一体(?)だけなのか、それとも多数神なのか、という問題もまだ解決はついていないよね。神が絶対神なら難しいことが起こる。自らの神が正しく、必然的に自分達の信じる神以外を信じる者たちは邪教徒となるわけだ。宗教戦争の根深さはそこにあるんだね。
自己の存在に対する信頼というか、保証がなければ、苦しい時に困る。アイデンティティーというやつだ。神を信じ、自分は神に愛され守られている存在だとなれば、いかなる苦しい事態に遭遇(そうぐう)しようとも、簡単に死のうとは考えないはずだ。
無神論者もしくは多神教を信ずる人、あるいはそこに仏教徒も入るかも知れないが、すがるモノがないから、苦しい事態そのものと、自分という一個人の関係だけになってしまうので、容易に死を選択してしまうんだ。
だけど、信仰は事が切迫してきたので、大急ぎで信じようという性質のものではない。
ユルーくテキトーな意見だが、今世に信じられている神というのは、人にたとえれば、怒りっぽくて狭量で嫉妬深い、あまり友達になりたくないタイプだよね。
おじさんは無神論者ではないが、さりとて、今みんなが知っている宗教のいずれも信じてはいない。新興宗教など論外である。
たとえば、神は何かを人間にして貰いたいと考えているだろうか。まさかね。では、その宗教の信者とはどういう人をさすのだろう。
今日もおつきあい有難う。続きは明日
悩み、苦しみ、悲しみ、痛み……マイナスなことを考えるときに、ハッと自分が今、生きていることの不思議を思う。いつか終わりが来ることに改めて気付き、愕然(がくぜん)とする。
進化論によれば、偶然が重なって生命が誕生・進化したということらしいが、キリスト教の信者などには、子供に進化論を教えるなと運動する者もいるとニュースでやっていた。
どちらが正しいと論評する資格は、おじさんににはない。方や科学、方や宗教――どちらも相容れない立場からの主張だから、子供も困るよね。
神は絶対神一体(?)だけなのか、それとも多数神なのか、という問題もまだ解決はついていないよね。神が絶対神なら難しいことが起こる。自らの神が正しく、必然的に自分達の信じる神以外を信じる者たちは邪教徒となるわけだ。宗教戦争の根深さはそこにあるんだね。
自己の存在に対する信頼というか、保証がなければ、苦しい時に困る。アイデンティティーというやつだ。神を信じ、自分は神に愛され守られている存在だとなれば、いかなる苦しい事態に遭遇(そうぐう)しようとも、簡単に死のうとは考えないはずだ。
無神論者もしくは多神教を信ずる人、あるいはそこに仏教徒も入るかも知れないが、すがるモノがないから、苦しい事態そのものと、自分という一個人の関係だけになってしまうので、容易に死を選択してしまうんだ。
だけど、信仰は事が切迫してきたので、大急ぎで信じようという性質のものではない。
ユルーくテキトーな意見だが、今世に信じられている神というのは、人にたとえれば、怒りっぽくて狭量で嫉妬深い、あまり友達になりたくないタイプだよね。
おじさんは無神論者ではないが、さりとて、今みんなが知っている宗教のいずれも信じてはいない。新興宗教など論外である。
たとえば、神は何かを人間にして貰いたいと考えているだろうか。まさかね。では、その宗教の信者とはどういう人をさすのだろう。
今日もおつきあい有難う。続きは明日