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Re-SILVERFLEURET PROJECT

YAHOOブログから引っ越してきました。駄文小説等を投稿していこうと思います。

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引越し先の自宅から見える景色です

茨城県T市役所の桜です

先週は毎日これら満開の桜を見ての通勤帰宅路でした

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幕府旗本「土屋氏」の本拠 土浦藩(9万5千石)の旧市街です。

今や寂れる一方の土浦ですが、旧藩時代~戦前まではそれなりに栄えたようです。

茨城に住んで長いですが、土浦市内にこんな通りが残っているとは知りませんでした。

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土浦城(亀城)の桜 古城の春 爛漫

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亀城サクラ祭りに沸く土浦旧市街を歩いて来ました。

創業130有余年という「吾妻庵」という老舗蕎麦屋に入りました。

茨城県内各所?に在る「吾妻庵」の総本店だそうです。店の外観はとても渋く、店舗内部も非常に趣きある作りでした。

天ざるを注文して一人前¥1300と割高ですが、ものすごく美味かったです!

吾妻庵以外の蕎麦屋だと天ざるにはつゆと別に天つゆが付いてくるのがこれまでの自分の常識。

ですが吾妻庵はココ総本店もそうですが分店も同じく、蕎麦も天麩羅もそのまま同じつゆで食します。

油が浮いてしつこくなるかと思いましたが、意外にも相性良いハーモニーでした。

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 思い立ったので書く事にした。

 水戸泉町の中央ビル。昭和45年に火災が発生し、人が数人焼け死んだ。

 幼い頃に家族からよく聞かされた怪異談。それは焼け死んだ人の幽霊が出るというものだった。

 火災後にビルを再建工事中。工事作業者が何人も「熱いよー」「助けてー」という声を耳にし、甚だしいケースだとノイローゼになる人がたくさん出たとか。死んだのは女性従業員。なので出る幽霊は女性というものだった。

 中央ビルの再建が終わって再度テナントが入った後も怪異談は続く。浄霊なんか何もしなかったのだろう。霊感の強い人にはたまらなく怖い中央ビル。折につけて幽霊の目撃談や声を聞いたなどの怪異談が聞かれる陰気な中央ビル。

 怪異談は私の身近にもあった。高校時代、私の姉の一人が中央ビルの地下のBARでチーママをしていた。BARは飲み屋で夜の仕事。閉店後は真夜中。お客が皆帰ってしまい、従業員が所要で出掛けている時、姉は一人店に残っていた。その時、唐突に下駄を履く人の足音が地下街に響いた。姉のBAR以外はすべてのテナントが閉まっている状況で、しかも、外部から人が出入り出来ない方向からその下駄の足音は聞こえてきたそうだ。段々と近づいてくるその足音の、その主を見つけようと店の外に出たものの、人の姿はどこにも見えない。なのに足音だけはドンドン大きくなってくる。
 「怖い。やられる」
 そんな風に感じた姉は地下の階段を登って外に出た。そこにいた従業員をつかまえて一緒にBARに戻り、急ぎ帰り支度をして地下を出たそうだ。

 そんな話しがふいに頭に浮かんで、ついさっきネットで検索してみた。そうしたらあった。1件の記事が。中央ビルの火災は法令を変える契機となった、消防法令の世界では有名な火災だったそうだ。出火場所は地下の飲食店! そうだったのだ。死者を出した有名な中央ビル火災。中央ビルの因縁の場所は地下だったのだ。姉の聞いた無人の地下街に鳴り響く不可思議な下駄の音。それは人の命を奪った因縁の出火場所だったのだ。

 水戸の街にまつわるいくつかのおどろおどろしい話し。中央ビルもその一つなのだろう。

 余談だが「千波湖バラバラ殺人事件」というものがある。時代は戦前もしくは戦後すぐの頃。とある看護婦が付き合っていた男に殺された。男は死んだ彼女の死体をバラバラに解体して千波湖岸のコンクリート造りの便所に捨てた。不衛生な昔の事とて、便所の汚物は千波湖に流れ込んでバラバラ死体の捜索は困難を極めたとか。実話である。だが、2009年の今、その千波湖のおどろおどろしい話しなど、知っている人は稀であろうか。いつか調べてみたいと思う。

追記:画像は「max speed」さん(→ http://blogs.yahoo.co.jp/maxspeed1000km
   から頂きました。有難う御座います。

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パッと見、誰だか分かりません。

単に素人の美人な人としか見えないかも知れません。

ですが彼女はグラビアモデルでタレントで女優です。
 あの朝は6時前に起きた。横浜に住んでいた。TVで騒いでいた。8チャンネルの目覚ましテレビだった。司会者が関西地方での大規模な地震発生を告げていた。規模が不明で詳細は分からなかった。そして埼玉の工場で輸入貨物の立会いで早々に電車に乗った。

 着いた工場で話題になっていた。阪神地方の震災。大阪支店に連絡しても電話が一切つながらないとのことだった。被災の数もはっきり分からないままだった。

 東京に帰り、残務を終えて帰宅してようやくTVで被害規模が報道されていた。だが、まだ不十分であった。

 あの朝、神戸、阪神淡路で何が起こったのか?関東に住む自分にはまだまだ実感出来ない事ばかりだった。

 小説を書き始めて体験談など多数読める余裕が出来た。

 何を今更言ったとしても、自分ごときに何が分かろうか?申し訳ない限りである。

 せめて出来る事、すべての被災者にお悔み。亡くなったすべての人に哀悼の意を込め、追善。