お気に入りのブロガーさんの記事を読んで、急に思い立ってこれを書きました。
横浜と聞けば私の記憶は13年前に飛ぶ。
当時、新横浜にあったとある船会社の船荷証券作成部門に派遣されていた。大学があった事もあり、上京以来長く住んだ八王子から横浜南区真金町のマンションへと引越した。部屋は7階。6畳一間のワンルーム。
高校時代に読んだ漫画の影響で、横浜には十代の頃から強い憧れがあったのだ。住んですぐに散策を始めた。
ミッション系スクールに通う若い子たちが英語を普通に話す石川町。けっこうこじんまりした町。彼女にプレゼントしたバッグ専門店のキムラヤ(?)、幻想的な雰囲気の高級レストラン霧笛楼。商店街。
場外馬券場のある桜木町。夜になるとちょっと恐い雰囲気。川沿いの道に並ぶ禁断の「おきや」街。駅前の屋台ラーメン。渋谷の会社に通うようになってから、よく東急東横線を使った。終電近くで帰ると当時の終点桜木町。そこから歩いて真金町のマンションまでの道のりは、危険だったが楽しかった。
駅を境目にして港側と内陸側で180度雰囲気が変わる関内。港側は古き良き港町風情。オフィス街。馬車道にあった洋菓子屋「浜志”まん」の「ボストンパイ」。これはいまだ自分的にはNo.1の味!そして大正時代から続くハヤシライスの「梅香亭」。懐かしい味。よく散歩したスタジアム。やっぱり中華街!「満珍楼点心舗」最高の味。名前忘れた入り口の所にあった店。生JAZZ演奏聴いて飲み食いする「ウィンドジャマー」。明治屋近くの老舗洋食レストラン「ホフブロウ」はスパゲティグラタンとジャーマンサラダ(温イ)(実際にこう表記されていた)がオススメだった。
普通に拳銃発砲事件が起こり、中近東系外国人が派手にケンカする伊勢佐木町モール。昼間は安全。細かい店を思い出すと尽きない。このモールを過ぎると風俗店街!更に進んでラブホ街を行くと、私が住んでたマンションに着く。
このマンション。夜になると1週間に2、3回は女の悲鳴、そして2週間に1回くらいで男の鳴き声が聞こえる。それが真金町。救急車が走り抜ける狭い路地。サイレンはしょっちゅうだった。急発進する車が物損事故起こしてそのまま逃走するのも日常茶飯事。そんな危険なところに住んでいた。でも何故かこの町が好きだった。嫌いになれないのだ。ちょっと行くと懐かしい雰囲気の商店街があって、どの店の人もみな気さくな下町風情だった。ほのぼのさと危険が隣り合わせの不思議な町。
当時、TVドラマでは日テレ系の「横浜心中」。中谷美紀のデビュー作だったか。勤務先の側でロケやってて、TV観て喜んだっけ。
八景島シーパラダイスには男友達と二人で行ったっけ。一緒にジェットコースター乗ったっけ。何だかなあ。ちなみに私はホモではない。ワイルドブルーには女の子と行った。
たった一年の短い間。それでも市内を隅から隅まで歩いたなあ。「土浦には3年いるけど決まったとこしか行ってないもんなあ・・・」と、しばし感慨にふける今日この頃。