ここリシケシュはヨガの町であるとともに、元々「修行の町」として名高い。
そう、修行といえば、『サドゥー』。
黄色もしくはオレンジの布に身を包み、ヒゲ、長髪、ドレット風ヘアーを蓄え、
自身の荷物をほとんど持たないで生活する人々。
シヴァ神の贈り物である草を吸い、路上、公園に座り続ける。
何割かの人々はカラの缶を置き、ただ黙って路上にすわりバクシーシを求めて1日を終える人たちもいる。
<BABA缶を置き日陰にたむろする人達、彼らもサドゥーと呼んでいいのだろうか?>
彼らは名目上修行の人々。
瞑想をし、その行く先はわからないが、同じ修行者であっても東南アジアで見たモンク達とは、
周囲の人からのリスペクトが違うようにも思える。
時に彼らは空気のような存在でもあり、オーラのある人以外、
一般のインド人と絡んでいるサドゥーを見かける事はあまりない。
詳しくわからないが、すべての人が都合よくサドゥーになっているとも限らないよう。
中には現世の行いと意識的に離れ、
瞑想とヨガによって「輪廻とは」「生業とは」「意識の持ち方とは」「人とは」「神とは」
など、生きる意味と世界の成り立ち、自然界と宇宙などに意識を向けている人もいるよう。
会った事ないけど‥‥
<酒は絶対禁止。シヴァ神からの贈り物を吸うサドゥー>
夕方、ガンガーが流れるガート沿いを歩いていると、サドゥーの人だかりに遭遇。
一気にこんなに見たのは初めてだ!!
なんだ? なんだ?
ついに本気だしたのか? サドゥーよ?
食料配給でした。
ここにいるサドゥーの数は、目にするだけで他の地域を圧倒する。
もしくは、食料配給が行き渡っているからなのか?
サドゥーっていうのは、なんなのか益々わからなくなってくる。
あるGUEST HOUSEに居たローカルのインド人が言っていた言葉を思い出す。
「おれは町にいるBABA(サドゥー)で、Real BABAを見た事が無い。
Real BABAは人のいない山奥で修行をしていて、彼らが手をかざすと体の悪い部分が
治ってしまうほどの力を持つはずだ。」
なんとなくイメージしてみた。
かつてここは、本気で修行に来たサドゥー達が集う神聖な場所だった。
ガンガーを眺め、サドゥー達はヨガをし、瞑想をして、自身の向上に努めていた。
だが、ある時から徐々に外から、海外からも含めて人が入り込むようになってきた。
機転の利く人は、サドゥー達が築き上げた『ヨガと瞑想による修行の場所』というイメージを利用し、
ヨガ道場・アシュラムを開き、宿として、修行の場としてお金を取るようになった。
すると、ヨガに商業的な可能性を感じた人たちは、レッスン形式でお金をもらい、
生活の糧としてもヨガと向き合うようになっていく。
さらに外国人の過ごし易いレストラン・宿泊施設・ツアー等、余暇を楽しむ環境が出来ていった。
このイメージが少しでも合致しているとしたら、
元々ガンガーに面した聖地で静かに修行に励んでいたサドゥー達の姿を変えてしまったのは、
自分ら観光客の存在も大きいはず。
ローカルのインド人が言う「ここには本物のサドゥーはいない」という言葉の裏には、
インドの聖地が激しく観光地化されていく現状と切り離せない気がする。
まぁでも、
ヒンドゥー教徒でもなく、3ヶ月足らずしかこの国に居ないおれが、
サドゥーのあり方について説明しようとすること自体ナンセンスな気がしてきた。
この辺りのベンチにはとても腰掛けられんな~。
















