全体の人口870万人足らずの小国ルワンダだが、

その人口密度はブラックアフリカでは最も高いという。その中でも特に人口集中率が高い首都キガリ。


移動中の景色を見る限り、"千の丘の国"のキャッチコピー通り、国全体が丘、

もしくは山なのかと思えるくらいに傾斜のある土地がうねっている。


そして、都市部以外の人は丘の傾斜に建ってある家に住み農業を営んでいる人がほとんどで、

あるルワンダ人に話を聞くと、今ルワンダで盛り上がっている産業は、


1、コーヒー 2、コンピューターテクノロジー 3、もちゴリラ


この3つが軸になっているらしい。


アフリカで訪れた国の強みをいち早く知れる方法がある。


それはお金。
そこに印刷されているものを見るとわかり易い。特にルワンダの札はわかり易い方で、

一番大きい単位のお札である5000フラン札には、ゴリラ先輩の絵。
2000札には、コーヒー豆と衛星の絵。

1000にはよくわからんサルといった具合。(たぶんゴールデンモンキー)

最大通貨にゴリラってのがなかなか粋な計らい。
そりゃ国家予算の中にゴリラ予算が組み込まれてるわけだわ。


そんな不思議な国ルワンダ。
来る前の印象は、ゴリラと大量虐殺しかわからなかったがけど、

実際来てみて予想と反したことばかり。



まず驚いたこと、ゴミが落ちてない。
今まで訪れたどの国よりも町がきれいなこと。


国全体でのクリーンな取り組みに対し最初に触れたのはルワンダ入国の時。
荷物検査の際NGだったのが、ビニールタイプの買い物袋。
町で買い物をしても、おなじみの燃えないタイプの袋ではなく、茶色い紙でできた袋に詰められる。

しかも掃除人のケアもかなり行き届いている。


クリーンなイメージを感じさせるのは、ゴミが少ないだけではない。
主要な道にはしっかり道路が整備され、おなじみの穴や凸凹がほとんどないような新しい道路が目立つ。しかもBUTAREとKIGALIの中心にある建物は新しい建物ばかり。

何十年も前にルワンダが国として傾いた時、国の再建を託されてルワンダ中央銀行に就任したある日本人の本の中では、文明的な内容が何一つなかったらしい。

が、今ここでは文明が爆発中。


スーパーに行くとヨーロッパの一流スーパーさながらの様子で、とてもタイパンで行ける雰囲気はない。カフェも東京のカフェと対した変わらないし、レストランもきれい。丘の高台にある中心部を反れると多少変化はあるものの、今まで行ったどのアフリカの国よりも新装オープンな雰囲気が立ちこめる。


ただ、やっぱり新装オープンなだけあって、不自由な点もある。
一番気をつけないといけないのは、visaカード対応の表示があってもATMが使えないこと。要現金。

物価は隣国ウガンダとは違い、一気に上がる。(1ドル=575rwf)
1ドルだったのが、2ドルになって、

2ドルのところが4ドルになる程度かもしれないけど、生活していけばこれは大きな差。



一番痛いのが食。
紛争後計画的に新しく再建されたのが影響してか、味のある大好きな庶民的な安食堂がない。外食する時にはナイフとフォークが用意されたレストランばかり。なので、ルワンダ庶民の味に触れることができず、あるのは連日連夜どの店でもなぜか変わり映えのしないビュッフェのみ。
ライス、ポテト、野菜のあえ物、煮込みビーフ、マトケなど。
1000~1500フラン(2~3$)の豪華なビュッフェはよろしいんだけども、庶民の味が食ってみたい。コスト的にも楽しみ的にもこれはつらい。
ここでも一緒だけど、アフリカンは毎日まったく同じもんを食い続けられることに驚きを隠せない。



さらに驚いたこと。
サービス業たる姿勢が確立されてきている。
何を指すかというと、飯を食いに行っても、買い物行っても、バスの一連の流れにしてもしっかり、"お客さん"扱いをすること。もちろん、ダラダラしている店員や、確認不足によるちょっとした誤解はあるものの、不自由のない基準を誇っている。


たまにみる農業従事者はみな同じ色のユニフォームをまとい、バイクタクシーは皆おなじビブスをつけ、ヘルメット100%着用。そういったものすごく小さなところにもルールが設けられ、さらにそれがしっかり浸透している。ハイスピードであらゆることが国で管理されているようだった。


欧米の進んでる道に向かっているといえば面白味がないが、この状況はまったくの予想外だった。


コンピューターテクノロジー関連に力を入れているというルワンダ。
ウガンダやコンゴのように資源がなく、紛争で一回国が壊れてから、その後の発展のスピードを感じると、どこか戦後の日本をイメージさせられるのは僕だけでしょうか.


ほぼ坂しかないキガリの町。

中心部からほんの少し移動しただけで、錆びたトタン屋根といつものアフリカの町並みがある。

ただその風景が消えていくのも時間の問題な気がしてならない。


ほんの少し移動すると、とてつもなく強く濃い緑に囲まれたこの美しい国が、
この先に劇的な発展を遂げてゴリラの生活を脅かさないことを願うばかり。





Butare滞在3日目朝、Nation博物館に行く。


そこに展示されてあった、
かなり昔のルワンダ人によるスーパージャンプしてる写真と
真面目に宇宙人的な頭飾りをつけた民族の写真が強烈だった。


まあ、そんなこんなでButareにいる理由もなくなったので、
いよいよキガリに戻って本題に入りますか。


たった3日間だったけど、ウガンダとの違いを強く感じれたButare滞在。

一人でビールを飲んでると、ルワンダからフランスorアメリカに行くアイデアを求めてくるバーのスタッフや、日本へ行くための方法を聞いてくる学生。猛烈にアドレスを欲しがる男。

そんなアグレッシブでユーモア溢れるルワンダ人たちをあとに、昼のバスに乗って約2時間でキガリ。


バスの本数も30分おきだし、ほんと移動しやすい。



キガリに着いたのが16日金曜日の14:30時頃。


俺は焦っていた。


今日は金曜日。


決戦はいつも金曜日。



明日土曜日になってしまうと開いてるか分からない、ORTPNオフィス


このオフィスこそが、
ゴリラトレッキングの入山許可書を発行しているルワンダ観光局になっている。


みんなが休みの12~1月、7~8月のハイシーズンには予約で一杯一杯になるらしく、
今回みたいにフラっときてパーミッションがもらえるのが難しい事も多々あるらしい。


週末を悶々と過ごさない為にも、今日確認したいし、申し込みたい!


はい、君1ヶ月待ちねー!


なんて言われた日にはどうしたものか,,,と、心配になりながらORTPNを探す。
掃除してるアンちゃんが自信なさげに指さした方向に見つけたぞい!


よっしゃーーー!


いかんイカン。

まだなんにも決まっちゃいない。


緊張しながら建物内に入ると、久々にこんなに見た欧米人の方々。


人気者すぎる。


さすが!



恐る恐る手が空いてるおばちゃんに空き状況を確認してもらった。

ゴリラトレッキングは野生のゴリラに会いに行くために、

1日に入山できる人の数が、Maxで8人編成7グループの56人まで,と限られている。


しかも、鑑賞時間が1時間まで,と決められている。
その1時間に破格の500$を払うのだ。


ハイシーズンは毎日満員御礼の騒ぎらしい。

仕方ない。人気者だから。



おばちゃんが何かを書いた紙を持ってきた。




さて、来週の空き状況は、、、??























超余裕!!!



日曜日の残り4人を除いて、13人から40人の空きが曜日を変えてあるある。


もっと、なんかこう"あと一人だけ!!"とか劇的な状況でもよかったのになー。
とか一瞬思ったけど、この状況に感謝


19日から26日までどの日でもいける。。。

どこでもいいと言われると迷う。。。


ふむふむ、


なんとなく、


なんとな~くだけど、21だな!!



旅に出てきてちょうど1年3ヶ月記念日のこの日に決定!


ずいぶん長いことかかったなあ。


受け付けでなんの躊躇いもなく500$を支払い, ついにGETしたパーミッション!




4月21日、シルバーバックとご対面!!








Butareからバスでギコンゴロへ。
そこからさらにバイタクに乗り継ぎ10分ほどで、

小高い見晴らしのいい丘の上にあるMuranbi Memorial Centreに着いた



1994年に行われたルワンダ大量虐殺。


正確な数字は出ていないが、たった100日間で50万人から100万人のツチ族と、反逆とみなされたフツ族が虐殺された、あまりに有名な大量虐殺。ルワンダ虐殺が始まった当初、ムランビ、ギコンゴロ周辺に住むツチ族が逃げ込んだ場所がかつて技術学校であり、現在メモリアルセンターが建てられている場所。訪問した時には、国で雇われているガイドが様々な説明をしてくれた 。



まず歴史に触れる前に、ツチ族とフツ族の違いについて。


ここからは生の声をふまえて。
ちなみに話を聞いたガイドはツチ族なので、内容に多少の含みあり。


ツチ族 ー 身体的な特徴としては背がひょろ高く、とんがった鼻、比較的さらっとした サラット

した髪の毛、若干薄い肌など。ツチの振る舞いは富裕層のもので、床に座ってものを

食べたり、汚い服ををきたりしない。その昔は牛を多く所持していたり、

お金持ちになるとフツ族もツチ族に転換していたりしていた。


フツ族 ー 背が小さく、がっちり体系、鼻はだんご鼻。

労働者階級をイメージさせる風貌の人たちに多い。
現在75%を占めるが、虐殺前は50%ほどだった。


見分け方 ー 植民地前はツチとフツの関係も近く、混血がおおいため見た目的に現在判断する

のは難しい。(実際ガイドの顔つきはフツだったが実際はツチ)
もしツチの父親とフツの母親が結婚したら父親側のツチになる。
今では会話の中で探ったり、噂話から相手がどちらなのかを判断していくことが

多いらしい。



もともと同じ言語と文化をもつフツとツチ、民族単位で分けられるべきではなかった彼らが、
はっきりと振分けられた歴史には、ベルギー人による植民地時代が大きな転機となった。
ヨーロッパ系の顔立ちをしたツチを優遇扱いし、差別化を図ったことからフツとツチの関係性は悪化していったという。これが恐らく、最も根底にある原因と、虐殺感情のスタートに他ならない。



虐殺までの経緯/虐殺された人たち


ベルギー植民地後、フランスのシステムを取り入れてた国づくりをしていたルワンダ。
そこで、ベルギーによって差別化され力を持っていたツチ族。
フランス、ベルギー、ヨーロッパ諸国の介入により,かつて保たれていた民族間の均衡が崩れていく。


ツチは国をコントロールする側となり、それが面白くないフツ。
もちろんそこに生活水準の格差が大きく広まるったりなど、
そういった微妙な時期が長いこと続き、関係性にも微妙な違和感が起こる。


権力的に憎み合う状態が出来上がった頃に、フツ族のハビャリマナが大統領に就任する。
しばらくすると、過激派の組織を形成した一部のフツ族から虐殺がはじまっていくようになる。


このとき、ハビャリマナ大統領は2つの顔を持っていた。
虐殺を恐れてウガンダに逃げ込むフツ族。ウガンダ政府に見せかけるように和平を望む姿勢と、
国内で虐殺を容認する姿勢。(注:ガイドツチ族)
どんどん外へ逃げていくツチ族。


そして、ある日大統領の乗っていた飛行機が墜落したことに端を発して、

報復の意味を込めてフツ族過激派による虐殺がピークを迎える。


これ以上広げると日記に書き切れないし、くわしく正確な情報が定かではないので、
この頃に、今回訪れた場所ではどのようなことが起こったかに焦点を当てていく。



公に激しい虐殺が行われたころに、フランス軍が駐在していたMuranbiの技術学校にツチ族が押しかける。今となってはなんの為にいたかわからないフランス軍ではあったが、当時ツチ族にしたらフツ族から身を守る為にすがるべき人達であった。
国の正常化のために来ていたフランス軍だったが、怯えるツチ族を横目に、丘にある大量の死骸が詰まった墓の前でバレーボールをしていたらしい。そして今もその場所には石碑がある。


"ここでフランス軍がバレーボールをしていた"と。


水道管を切られライフラインを失ったツチ族の一部は不安になり協会に逃げ込むも、
大量に殺された。ある協会では壁についた跡でどこまで血が上ってきたのかわかるほどらしい。


そして、4/21深夜、フランス兵が突然姿を消すと、その日の夜に訪れたフツ族に虐殺された。
3日間で、55000人。


その時に殺された人たちの白骨がここには眠っている。

激しく降りしきる雨の中、新設されたMemorial Centreの裏手に連れていってもらう。
すると平屋で6部屋ずつある校舎。


平屋に近づいた瞬間、くんせいのような強烈な臭いが鼻をつく。
実際目にするまで、そこに何があるのかわからなかったから、部屋の中を覗いた時にはちょっと吐き気がした。部屋に入ると部屋いっぱいに残された白骨。それは手を伸ばせば触れられるほど乱雑に並べられている。骨はすべてバラバラになっておらず、叫んだままの状態。手で何かを拒絶している様子、鈍器で割られた頭がい骨、切られたアキレス腱、子供を抱えたままの母親。など。今まで見てきたなかでもっともストレートに悲惨な状況がわかってしまう。
いるのはガイドとじぶんだけ。息がつまる。


リアリティのある白骨のかたまりかたと、わかってしまう人の表情が強烈な臭いにのってくる。
3部屋目、赤ちゃんと子供だけの部屋に入る。
そして、4部屋目女性の部屋に入った時点で、もう無理だった。
ガイドに、"もうだめ"ということを伝えて部屋を後にする。


これ以上くわしい状況を書くのはやめにする。
写真を撮ってもいい、と言われたがこんなとこを撮る気になどまったくならない。



Muranbi Memorial Centreに行ったその日の夜、
画面1割しか残ってないPCをスクロールさせ何度も停止しながらホテルルワンダを見た。


ガイドが"あれは真実じゃない"と言うなど、どれほど映画に信ぴょう性があるのかわからない。
ただ今回見た時には以前に見た時とは、比較にならないインパクトがあった。
そして、ツチ族だったガイドがいまだフツ族を憎み、フツ族がツチ族を憎むことは、当たり前のことだということもわかるような気がする。


町を見渡し生活している空間に、いまフツ族とツチ族は共存している。
16年前に起こったばかりの、虐殺の事実がおれには隠れているように見えて彼らには、
まだ鮮明に残った生きた記憶なのかもしれない。

笑顔のない老人や年配のルワンダ人の覇気のない目を見るとそんなことを思う。


アフリカを旅してる間、"Africa is One"といったアフリカンがいたが、
その言葉は少しも響かない。北、西、東、アフリカ各地域、さらには1つの国の中でさえも、
激しく対立し合い、同じ経験は共有していない。


人類発祥の地であるながら、どの大陸よりも不安定に時間が過ぎるアフリカ今だ惹きつけられながらも、やっぱりここに自分の居場所はないと強く感じさせられた。

生きていく上での本当の不自由さと、戦争をも知らないからこそ過剰な感情移入なしで、
できるだけ客観的にみた結果の感想。


この魅力溢れるアフリカに、おれがとどまる場所はない。