氏もまた早熟の天才でした。
ただ、ユダヤ人富豪の御曹司という、当時、誰も(特にワーグナー)が羨む社会的に地位にあったことで、性格破綻者の多い作曲家の中にあって、極めて常識人に近かったのではないかと想像してしまいます。



それはさて置き、余り知られることもなく、もしくは無視されてしまいがちなメンデルスゾーンの弦楽四重奏曲ですが、流麗で美しい旋律や各声部のハーモニーだけでなく、憂いを含んだ表現も見事としか言いようはありません。



特に、この2番は、10代の頃の作曲らしく、ベートーヴェンやブラームスのような骨太の造形こそ存在しませんが、若々しさが芽吹くかのような瑞々しい表現がたまらない魅力です。

バッハを初めて聴いたのがこの曲でした。
しかも小学生時代のこと・・・子供向け番組「レインボーマン」の悪役が、ここぞという時にこの曲の冒頭部をオルガンで奏でるというものだったのですね。

それ以来、これが結構大阪の子供に受けて、何かしら衝撃的なことがあると、「チャラリー・・・・」と、それこそ嘉門達夫ばりに口ずさんだものでした。
まあ、嘉門達夫も確か同年代ですので、同じ経験から、「鼻から牛乳」を思いついたのでしょう。

その後、高校生になって、ようやくと、この曲がトッカータとフーガだというのを知ったのですね。同じ頃、FMラジオで「朝のバロック」なんて番組も聴いた記憶もあります。本格的にバッハを聴くのは、それから20年ほど先になるのですが、何となく、いつも傍にあった曲・・・・そんな気になる曲なのですね。

先日、ブラームスの変奏曲について書いたのを契機として、久しぶりにバッハのゴルトベルク変奏曲を聴きました。

グレン・グールドの55年録音を始めとして、
ランドフスカのチェンバロ、
そして近年を代表する録音ということでマレー・ペライヤ

で、これに止まらず、
無伴奏チェロ組曲
無伴奏バイオリン・ソナタとパルティータ
と次々に聴いてしまいました。

その上で気づいたことなのですが、演奏者がどうのこうの・・・といった問題以前に、バッハの作品を前にすると、自分の感想がどうだとか・・・そういったことの一切合切がどうでも良くなってしまったことでした。

もちろん、好き嫌いはあるでしょうが、いずれの演奏者も聴く者の心を揺さぶり共鳴させてしまうのは、バッハの作品群が持つ力なのでしょう。

投げ出したようで申し訳ありませんが、私にはバッハの作品を文字にする筆力など到底なく、ただひれ伏すのみなのです。