※ 特別機動捜査隊 まえがき
捜査担当班の詳細については、wiki特捜隊-キャストを参照、また、(本放送)とはNETでの放送、(再放送)とは東映chでの放送を指します。出演者については配役名を略していますが、本文で書くこともあります。なお、出演者をもっと知りたいときは、リスト特捜隊で検索。
また、(出演者)は、エンディングで、一列~三列で表示された男優・女優に限定しました。
1963年公開の、映画版・特別機動捜査隊全2作とは趣が異なることに注意。
☆・・・#729 真空地帯
(本放送)・・・1975年10月29日
(再放送)・・・2019年12月12日
(脚本)・・・西沢治
(監督)・・・龍伸之介
(協力)・・・無し
(協賛)・・・無し
(捜査担当・オープニング表記)・・・矢崎班
田中係長(山田禅二)、鑑識員(田川勝雄)、鑑識員(西郷昭二)、
谷山部長刑事(和崎俊哉)、神谷刑事(山口暁)、岩本刑事(萩原信二)、
桂刑事(佐竹一男)、田坂刑事(倉石功)、矢崎主任(亀石征一郎)
(出演者)・・・
弓恵子、三島史郎、ちほひろみ、北町嘉朗、前沢迪雄、溝呂木但、大原百代、
松沢勇、祐樹秀幸、青木美香、三田桃基子、村田正雄、宗近晴見
(あらすじ・予告篇から)
・・・ ※当時のナレーションをそのまま聞き写しています。
・・・・・・・・・・(自宅でインタビューを受ける老人の場面)
インタビュア 「ラジオ・エム・ジェイ・ケイです、今の言葉をもう一度」
「さあ、どうぞ」
答える老人 「昔の東京は良かったよ、もう昔の東京は
帰(ケエ)ってきやしねえや!」
・・・・・・・・・・(ナレーションに戻る)
人間同士の交流を失った町、東京・・・。
事件は、その裂け目に起こった!
・・・・・・・・・・(取調室の場面)
(中略)
・・・・・・・・・・(以下、ナレーション)
向こう三軒両隣(ムコウサンゲンリョウドナリ)は、もはや昔のことである。
マイホームの夢は、隣人を忘れさせた。
誤解が誤解を生む、大都会の不毛の生活に、朝子は疲れ果てていた・・・。
対話を失った東京の生活・・・、
田舎育ちの朝子は、己だけの袋小路に追い込まれて行くのであった・・・!
次回、特捜隊、「真空地帯」、御期待ください。
※予告篇の前半部分を、(中略)する。
(備考)・・・
・劇中では発声、表記されないが、エンディング表記や予告篇では明らかにされているため、小柳夫人=朝子として以下本文を作成。
・劇中では、事件現場を「新宿区まつかぜ町」付近と発言しているが、赤坂見附の首都高高架下あたりだと推察される。
・インタビュアを演じる青木美香は特捜隊常連女優のひとりでありながらも、詳細は不明であった。しかし、最近になり、1966年春に南極観測隊への番組「お元気ですか ふじの皆さん」の番組ナレーターをしていたラジオNIKKEI記事(2014年7月3日) を発見、1968年には歌手としてレコード「しのび逢い/南極の恋人」を発売していたことがオークション出品で明らかになる。
(視聴録)
・・・開始約16分半ばまで
渋谷駅前では、ラジオ・エム・ジェイ・ケイのインタビュア(青木美香)が「1日に何人もの人と口を聞くか?」と、通行人に取材していた。人間同士の交流が無くなる現状を、部長(北町嘉朗)やスタッフ2人(未詳)を交え企画したものだが、そんな中、ある殺人事件が発生した。
夜間出動した矢崎班は、発見者・舟木謙介(宗近晴見)の通報で現場到着。扼殺された死体は、舟木から、左隣に住む阿部夫妻(前沢迪雄・大原百代)の一人娘・今日子(ちほひろみ)であり、自分の勤務先(みさわ商事)の残業帰りに発見したという。そして、今日子とは口を聞いたことも無く、近所で顔を合わせる程度の付き合いとも語る。死亡推定時刻は午後9時、首筋に犯人に絞められたときつけられた爪痕があり、血がにじんでいた。
翌日霊安室では、阿部夫妻が変わり果てた娘の姿と対面、母親からは、今日子が文京大学に入学後は無口になり、顔合わせは食事の時だけということ、昨日通学前にはハンドバッグを持っていたという証言を得る。また、父親からは、隣近所との付き合いは一切やらない方針であり、発見者の舟木については家族ともども知るはずもないという証言も得る。
一方、舟木の自宅では、幼児2人(未詳)を抱える夫人(三田桃基子)が、警察に通報したことで平穏な暮らしができなくなるから、左隣りの家のことなど放っておけばよかったと愚痴をこぼす。しかし舟木は、いくら無責任な世の中でも、最小限の義務だけは果たすべきと強調していた。この点は、桂・神谷が舟木の右隣に住む植木職人(村田正雄)に聞きこんだ話と共通していた。剪定(センテイ)で舟木と雑談する機会もあり、舟木は曲がったことが嫌いな正義派で、海外出張で人付き合いの無いニューヨークの街並みを憂いていたという証言を得ていた。
これらから、特捜隊本部では、田中係長が別の角度から今日子の人間関係を捜査するようアドバイス、矢崎主任・谷山は文京大学へと聞きこみに向かう。学内では、今日子の人付き合いは良いとはいえず、男子大生2人(未詳)からは、机を並べて講義を聴いているだけで、せいぜい授業後に近くの喫茶店で無駄な冗談を飛ばしあっているに過ぎない証言を得る。しかし、その喫茶店・古城で女子大生(未詳)から、当日の午後5時ごろ1人で現われ、2時間半ほど粘っていたこと、何か手紙を書いていてハンドバッグに入れたこと、どこかへ低い声で電話をしていたという証言に、矢崎主任・谷山は新たな道筋を見つけるのだった・・・。
ストーリーはその後、谷山・田坂・岩本はハンドバッグの捜索に専念。そして、ラジオ・エム・ジェイ・ケイのインタビュアの父親が植木職人だったこと、桂・神谷の聞きこみで、舟木夫人が3日前の早朝掃除のとき、向かいの小柳(三島史郎)が出勤のところ、小柳夫人・朝子(弓恵子)との口論を見かけたことが明らかになります。
内容は、
小柳「阿部さんの娘がどうしようと、ほっとけよ! お前には関係ない」
朝子「ほっとくわけにはいかないわ、私、あの娘さんのことを知ってしまったのよ! 見てしまったのよ!」
であり、さらに矢崎主任・谷山が阿部夫妻へ聞きこみするなど、これらがどのように事件に関係するのか、あるいは無関係なのか、興味を抱きながら後半へとストーリーは展開します。
と、ここまで書いたのですが、全体的に観ますと場面の繋ぎが甘いようにみられる作品です。人と人との結びつきが無い大都会をテーマに、阿部家、舟木家、小柳家、そして植木職人家のエピソードが出たとこ勝負なように展開され、有効的に繋がっているとは見えないところがあります。確かに、他家は他家、自家は自家という視点で歩んでみても、その家の中の人間も独立独歩していたという皮肉な結果は、良い視点でもあるのですが、あくまで単発的な描写であり、有効的な繋がりとは見えにくい。たとえば、ある家を他家(複数)が無関心なら、他家(複数)同士はどうなのかという緩い踏み込みは、繋ぎが甘いと見えがちです。
関連して、ポイントとなる「ある人物」の不可解な事件が、開始約13分前半で明らかになるのは早すぎて、これは真相解決まで引っ張るべき場面ではなかったか。実見された方はわかると思いますが、まったく視聴されていない場合のことを考え、上記本文には書かず、あるいは予告篇前半が関連あるものとして(中略)しましたが、後半へのステップとして明らかにするのを遅らせるべきだったと考えます。
また、これは監督さん自身の癖ともいえるのですが、テロ事件(三菱重工爆破事件か?)や大戦の写真挿入により、本篇と全く関係なくは無いものの、自身の思想的表現にも見えてしまうところは気になります。龍伸之介監督の、描写の巧みさは立石班・藤島班時代から良いものが有るのは承知しているのですが、ドキュメンタリードラマならともかく、刑事ドラマ・人間ドラマという範疇では、控えるほうが無難だったかの思いがあります。
長く視聴していると、特捜隊が順調に放送されていても、何話かすると急ブレーキがかかったように進行が鈍くなる時があります。一過性の場合と、意外に長く続く場合とがありますが、当作もどうやら急ブレーキがかかったような気がします。これが、前者のパターンであれば不幸中の幸いなのですが。。。
ただ興味深い場面を1点。「ある人物」が「老女の孤独な死」「1か月後の死体発見」という新聞記事を見て、群馬出身の人物の実家について、過疎地帯であることを揶揄するところがあります。これは、本放送から44年経った現在では、高齢化が進み近所付き合いの少ない都会の「孤独死」を指しているようであり、非常に皮肉的な描写であります。
声をかけても言葉を返さない近所付き合いというのが、当作のテーマなのですが、現在でいうと、声をかけることもしない近所付き合いとでもいうのでしょうか・・・。
ただ、自分は東京住まいではあるのですが、先日の台風19号で避難所に行くことになったことがあります。そこでは「大事」ということもあり、意外にも知らない人同士が話している場面を見かけ、自身も声をかけたりかけられたりでした。「大事」であっても人付き合いをしないというのは末期でありましょうが、こういう場面を見かけるのは、まだまだ日本も捨てたものではないと感じた次第でありました。