特別機動捜査隊に関連する作品、映画・Vシネ・テレビドラマ・動画に限定せず、あるいは脚本・監督にこだわらず、主観的に関連性がありそうと判断したものを取りあげました。

 

 

【素浪人 月影兵庫Ⅱ-#044  かけた情けが 仇だった】

 

 

(公開日・本放送日)

1967年11月4日・NETテレビ本放送

2010年9月16日・時代劇専門ch再放送

(脚本)森田新

(監督)小野登

(出演者)レギュラー

月影兵庫(近衛十四郎)、焼津の半次(品川隆二)

(出演者)ゲスト

伊沢一郎、八代真矢子、尾上鯉之助、小田部通麿、林彰太郎、寺下貞信、大滝瑛子、

石丸勝也、西山清孝、若水淳

 

(特捜隊関連事項)

特捜隊で関根部長刑事を演じた伊沢一郎の出演作品。

関根部長刑事初登場が、1968年3月27日#335 死の手錠なので当作はその半年近く前の作品。なお、特捜隊ゲストで山本部長刑事として登場したのが、1967年12月6日#319 おんなのブルースなので、当作はその1ヵ月近く前の作品となる。

 

(備考)

・プレイガールのレギュラー五代万智子を演じた八代万智子が、八代真矢子の芸名で出演。なお、「素浪人 月影兵庫」シリーズへの出演で、現在見れる作品は、Ⅰ-#13  女は聞いていた、Ⅱ-#008  女の影が ゆれていた、当作Ⅱ-#044  かけた情けが 仇だった、の3作となる。

・下記の役名は、ブログ「魅せる剣劇スター 近衛十四郎」を参考にしました。ただ、そこに書いていませんが、「雪乃」=八代真矢子、「女スリ」=大滝瑛子のキャストです。

素浪人 花山大吉・#031 狂った奴ほど 強かったで触れたとおり、素浪人 花山大吉の前作ともいえる姉妹作品。浪人・月影兵庫と一本独鈷の旅がらす・焼津の半次とが織りなす、股旅物。大きく分けて、

○1965年10月19日-1966年4月12日放送の全26話の第1シリーズ(便宜上Ⅰ)、

○1967年1月7日-1968年12月28日放送の全104話の第2シリーズ(便宜上Ⅱ、フィルム保存状況から欠番多く、現状では51話分の再放送にとどまる)、

が挙げられる。

・当作では、オープニングがマイナーチェンジ。兵庫が敵方の2グループへの剣戟、1分間ほどのノーカットロング撮影が用いられる。

 

 

(あらすじ・予告篇から) ※ナレーションをそのまま引用

 

次回の、素浪人 月影兵庫は・・・、

旅の途中、重病に苦しむ、武士の女房・雪乃を助けた。

この女・雪乃は、主人の名を呼びながら、

兵庫と半次に看取られて死んでいった。

兵庫と半次は女の主人を探すことにしたが、

この時すでに、女の主人は何者かに殺されていたのだ。

兵庫は、この事件の根(ネ)が意外に深いと睨んで、

その解明に乗り出した!

謎の代官!

そして、不可解な動きを見せる元代官所役人と、

不気味な浪人の一団!

謎が謎を呼び、

一通の書状を巡って繰り広げられる、人情の裏表・・・。

次回、「かけた情けが 仇だった」、

「かけた情けが 仇だった」に御期待ください。

 

 

(視聴録)

素浪人 花山大吉・#031 狂った奴ほど 強かったでも触れましたが、あらすじは上記のナレーション引用でほとんど網羅されており、特捜隊の予告篇とは大きく違うところです。これは、同じ東映でも、東京撮影所と京都撮影所との気風の違いもあるのでしょうか、予告篇を上手くまとめるのは京都作品が多いような気がします。

 

話は

・兵庫が苦しむ女を介抱したところ、正体は女スリ(大滝瑛子)。しかし、兵庫はこれを見破り、空の財布を見せつけると、女スリは見立て違いに癇癪を起こし去る。

・そして、またもや苦しむ女を見かける兵庫、恐る恐る様子を見ると今度は本当の病人。女は武士の妻・雪乃(八代真矢子)、太郎宿にいる夫・吉岡彦三郎(未詳)を訪ねる途中だった。

を導入部として開始されます。

 

このあと博打に明け暮れ、仕事をしない駕籠者(カゴカキ、小田部通麿)を殴りつけ、兵庫は雪乃とともに太郎宿へ。そして旅籠(ハタゴ)で半次と再会、ストーリーは本格的に展開します。

吉岡は家老からの書状を持って、代官・信夫雪之進(伊沢一郎)のもとへと向かった。その途中、太郎宿へ金子(キンス、註・お金のこと)を送るようにと吉岡は雪乃に指示を出し、それに従い雪乃は向かったのだが体調を崩し、兵庫、そして半次と巡りあうことになった。

ところが、肝心の吉岡が見つからない・・・。

果たして、息絶え絶えの雪乃の運命は?

代官も躍起に探す吉岡はどこにいるのか?

ふとしたことから関わりになった兵庫、半次は、自らも吉岡捜索に乗り出す。

半次に閃く推理とは!?

吉岡と食事をした、諸口陣九郎(尾上鯉之助)なる男とは!?

代官を訪ねて来た、的場(林彰太郎)率いる浪人勢とは!?

こういった謎解きも含め、勢いよくラストの大団円まで流れていきます。

 

注目するところは、時代劇でありながら、全くのその場限りの出来事と思われた事柄が、大きくストーリーの進行に関係しており、現代劇の手法を応用しているように感じます。さらに、予告篇にもある「謎が謎を呼び」というのも、刑事ドラマの伏線張りを応用しており、当作を単なる剣戟ものにはしていません。これは、近衛十四郎、品川隆二の名コンビさながら、脚本・森田新、監督・小野登のコンビネーションもあると思いました。

 

そして、伊沢一郎演じる代官・信夫雪之進、この人物が善人なのか?悪人なのか?

ストーリー展開に大きな比重を占めるのですが、短時間ながらも伊沢一郎の飄々とした演技にラスト10分まで引き込まれ、ストーリーの収拾が最後までわかりません。

さらに真相を知った兵庫、半次の殴り込みに、視聴者は大きなカタルシスを受けることになります。そこに至るまでには、繰り返しますが伊沢一郎の存在感は欠かすことはできません。(特捜隊関連事項)で触れましたが、当作の半年後、関根部長刑事として特捜隊に登場するのは非常に興味深いものがあります。

 

八代真矢子(八代万智子)は、月影兵庫シリーズの出演前2作より扱いが低いのは残念ですが、約2年後にはプレイガールにレギュラー出演、本領は現代劇にあるようで、自身の代表作としています。個人的には、高倉健主演の「悪魔の手毬唄」(1961年11月5日公開、ニュー東映)での歌手・須磨子役が、扱いは低いけれども印象に残りました。

 

さて当作は、ややもすれば、兵庫の十剣無刀流のみに目が行くことになるのを、謎解き、推理ものの要素も交えて視聴者を退屈させないのは、いわゆる「シャシン屋」としての工夫と意地もあるのかと思いました。そういった意味でも、昭和のころの映画、ドラマには、現代よりもひとひねり工夫されているなとも感じます。