※ 特別機動捜査隊 まえがき

捜査担当班の詳細については、wiki特捜隊-キャストを参照、また、(本放送)とはNETでの放送、(再放送)とは東映chでの放送を指します。出演者については配役名を略していますが、本文で書くこともあります。なお、出演者をもっと知りたいときは、リスト特捜隊で検索。

また(出演者)は、エンディングで、一列~三列で表示された男優・女優に限定しました。

 

【#582  消えゆく灯】

 

(本放送)1972年12月27日

(再放送)2016年6月23日

(脚本)佐々木武観

(監督)龍伸之介

(協力)無し

(協賛)無し

(捜査担当)三船班

田中係長(山田禅二)、鑑察医(仲原新二)、鑑識課員(西郷昭二)、

鑑識課員(田川恒夫)、関根部長刑事(伊沢一郎)、白石刑事(白石鈴雄)、

村井刑事(北村晃一)、石原刑事(吉田豊明)、畑野刑事(宗方勝巳)、

三船主任(青木義朗)

 

(出演者)

角梨枝子、川村真樹、湊俊一、由起艶子、瀬良明、真咲美岐、木村元、水村泰三、

森山周一郎、北上弥太郎

 

 

(あらすじ・予告篇から) 

※当時のナレーションをそのまま聞き写しています

 

クリスマスの夜、

人通りの少ない陸橋の下で男が1人死んでいた。

被害者は三流週刊誌のトップ記者、

その傍らに落ちていた週刊誌には、

ひときわ目立つゴシップ記事が開かれていた。

失明寸前の社会派画家と、ナンバーワン・ホステスの逢瀬・・・。

かつては彼のモデルだった混血の娘・由起子が、

ひとり苦労している理由は何であったか?

トップ屋の企てたでっち上げ記事は、

果たして方々(ホウボウ)に大きな波紋を巻き起こしていった・・・。

彼女の母親を自任する女の陰ながらの涙、

2人が偶然にも基地の町で会ったとき、

しかし運命の神は、

あまりにもこの親子には冷ややかであった・・・。

次回、特捜隊、「消えゆく灯」は、

今や過去の話題ともなりつつある基地の話をバックにして、

暮れゆく年の瀬の作品としてお送りいたします。

どうぞ、三船班の活躍に御期待ください。

 

 

(備考)

・エンディングで、由紀子=川村真樹と表記されますが、劇中の週刊誌では「由起子」と表記されているので、本文でも劇中表記に従います。

・磯部の死亡推定時刻が、畑野刑事の「昨夜11時半前後」、白石刑事が由起子に午後9時の磯部来店時状況を聞いているときの「3時間後(=午前0時を指すのが自然)に陸橋で殺された」、特捜隊本部・黒板表記の「二十三時」と、バラバラなこともあり本文では触れません。

・劇中では、生田の娘が久美子なのかふみこなのか聞き取りにくいですが、エンディング表記に従い本文では「久美子」としました。

 

 

(視聴録)

 

クリスマスの夜、ルポライター・磯部たけし(木村元)はクラブ姫で、ホステス・れいここと本名・亀井由起子(川村真樹)に話しかけていた。もっぱら、由起子と画家・生田浩介(北上弥太郎)との関係記事についてであったが、原宿の旅館・千とせの女将・ちとせ(角梨枝子)の話に及ぶと由起子は顔をこわばらせた。そして、磯部が席を外れるタイミングで生田が来店するが、それを冷ややかに見つめている生田の旧友・滝村(水村泰三)の姿があった。

 

翌日、渋谷の陸橋下で、突き落とされ脳底骨折で死亡した磯部の死体が発見された。遺留品の週刊誌から、三船班は実話ネット社を訪れるが、編集長(未詳)、女記者・志摩(木村有里)の話では磯部の取材には問題がありそうであった。それは、磯部宅を捜索して隠し棚から、不釣り合いな2400万の預金通帳、裸で写る男と女の写真、注射器などを発見したことからも、強請りをやっていることが裏付けられた。

 

また、関根部長刑事、畑野刑事が張込みの最中、別れたとはいえ生田の前妻(未詳)と滝村が逢瀬を重ねていることが明らかになり、三船主任、白石刑事、村井刑事も、生田の娘・久美子(渡辺美知子)は2人と折り合いが悪く父寄りであること、由起子を見張っている遠藤(森山周一郎)、その相棒(未詳)の存在を割り出していた。

一方、由起子は旅館・千とせを訪れる。そこで、女将・千とせと下男・広岡(瀬良明)が、自分の思い出話に浸っているのを聞いてしまう・・・。

 

 

当作は、基地問題にまつわる戦後のパンパンガールと彼女たちが過ごした街並みも含めた歴史を描き、別れ別れになった母子の悲劇を描くのが主題であると思われます。思われますというのは、自分はこの母子よりも、もうすぐ画家としての生命を絶たれる芸術家・生田の悲劇に心揺られたところがあるからです。そもそも芸術家はエゴイストでないとやっていけないものですが、それゆえ家庭を失い、名声のためにモデルの気持ちを見ないふりをする心情、そこのところが気になりました。それを描き切っているとは決していえないのですが、この点をストーリーの材料にしたことには興味があります。

 

しかしながら、(備考)の死亡推定時刻問題もそうですが、疑問に思うところが散見されます。

・大戦後とベトナム戦争後、横田と立川の基地問題を混同しすぎな点、

・また大戦後の国策売春婦とベトナム戦争時の職業売春婦とを同列に語っている点

・クラブ姫の二人組の男、滝村への追及が中途半端なこと

・麻薬に敏感な三船主任が描かれていないこと

・生田が言うほど、由起子と久美子との関係が描かれていないこと

・別れた前妻が、生田家に出入りする理由が不明確なこと

・生田と滝村の旧友関係が描かれていないこと

というところで、これらからすると、立川行の切符を買ったちとせが行ったのは横田のように見えるところなど、可愛らしく見えるほど?がつく場面が多いのです。

 

そして、真犯人を捕まえる証拠については、飛び道具のように最後に出してくるなど、総じて監督・龍伸之介の問題というより、脚本・佐々木武観の問題のような気がしてしょうがありません。確かに大筋がまとまれば、枝葉の部分はなんとでもできるのですが、当作はどうも大筋のところから「ズレ」が出ているようであります。佐々木武観は、前作「#569 大都会の詩」でも枝葉の部分に混乱をきたしていましたが、大筋は整えていました。しかし、当作は、大筋・枝葉とも混乱しており、その後「#606  愛と憎しみの湖」まで脚本が無いのは、当作が一因ではないかとつい邪推してしまいます。

 

(2018年1月12日 全面追加)