昨日は箱根板橋の松永記念館の呈茶に伺いました。
月に一度呈茶が行われています。

素敵な床の間。
竹霰たけあられ、と読みます。
書いたのは野崎幻庵。
益田鈍翁、松永耳庵と並ぶ、実業家でありながら茶道に造詣の深かった小田原三茶人の一人。
隣には移築された幻庵の茶室も公開されていました。
花は半夏生。
解説お借りしました↓

竹の葉にあられふるなり
さらさらに
独りは寝べき心地こそせね

和泉式部の一首からの言葉です。

いとしい人を思ってねむれない夜、
霰が降って、竹の葉がさらさら音を立て、
更にさらに眠れません。


お庭を眺めながら。

少し登って、松永耳庵の住居、老欅荘に移動します。
名前の由来となった大ケヤキ。

仁遠からんや、の書。

孔子が言った。 仁(人間愛)の道は、我々の手のとどかない、遠いところにあるものでは ない」の意。


お庭。

益田鈍翁の書。
花はヤマゴボウ。

待ち合いに使っていたのかな?
面白い形の切り窓ですね。
どこを取っても設計や細かい意匠に至るまで非凡なこだわりがあります。
こういう風には中々思い付かない。
お金があれば出来るってもんじゃない。
実業家でありながら教養も人並みでない、明治八年に生まれ96歳まで生きた身長180センチの美丈夫だった電力王松永氏。
人柄のよく現れた遺言書をご紹介します。

「一つ、死後のはからいの事
何度も申し置く通り、死後の一切の葬儀、法要はうずくの出るほど嫌いにこれあり。
墓碑一切、法要一切が不要。
線香類も嫌い。
 死んで勲章・位階(もとより誰もくれまいが友人の政治家が勘違いで尽力する不心得、固く禁物)これはへどが出るほど嫌いに候。
 財産はセガレおよび遺族に一切くれてはいかぬ。
彼らがダラクするだけです。
(衣類などカタミは親類と懇意の人に分けるべし、ステッキ類もしかり)
小田原邸宅、家、美術品、及び必要什器は一切記念館に寄付する。
これは何度も言った。
 つまらぬものは僕と懇意の者や小田原従業者らに分かち与うべし。
借金はないはずだ。
戒名も要らぬ。
以上、昭和36年12月8日
横山通夫様
松永安太郎様
田中精一様
井上五郎様
木川田一隆様
この大締めは、池田勇人氏にお願いする。
 以上」


いいねえ。
池田勇人とかに軽~く頼んじゃってるし。

箱根板橋は今やってる朝ドラにゆかりのかんかん荘もあり、山縣有朋邸、黒田長成邸など注目の見所がいっぱい。
そこそこ賑わっていました。

帰りに左官屋の棟梁の自宅だった素敵な洋館朝倉邸が薬膳カフェになっていたので遅いお昼を頂きました。
この辺りは普通の家でもレトロで素敵な通りです。

キーマカレーとか

煮込みハンバーグとか。
料理は丁寧で美味しかったです。

着ていったもの。
暑いか降るかと思ったので絹と綿の混紡浴衣。

ガクアジサイの麻の帯は

下平清人の型染めです。

今回は裏千家、表千家の先生や生徒さんもご一緒でした。
皆さんに楽しかったと言って頂きました。
私は板橋大好きでいっそ住みたいぐらいなんですが、ちょっと遠いので、帰りはみんなロマンスカーに乗りました。
先生、皆さんお疲れ様でした。

おまけ。
はちかりさんに頼まれて小田原で買った山安の干物。
冷凍で売ってて便利。