火炉頭に賓主無し。
かろとうにひんじゅなし。
書いたのは前大徳寺の前田宗源。
他のかたのブログから解説をお借りしました。
あまり目にすることのない言葉とは思いますが、景徳伝燈録にある、火炉頭無賓主の禅語から来ている言葉だそうです

火炉とは囲炉裏のことで、頭はそのそばという意味で、客も亭主も立場はあるが、互いの心配りの中に主客を超えた、一体となった世界があるというような意味のようです

※ここからはそれをふまえたお家元の提案です。

正座が難しくなった時の、主客のあり方について、立礼卓を使ったり、椅子や机を設えた茶室があっても良いのではないかとの提案がありました
また、体の自由が少し効かなくなったからといって、これまで年月をかけてきた趣味を諦めてしまってよいのか?という問い掛けがあり、
何らかの工夫をすることにより、ある程度皆についていけるのであれば、その場にいる方々の了解を得てお茶を続けていくことは可能になるでしょう
それは、爐頭無賓主(ろとうにひんじゅなし)の言葉通り、皆でお茶を楽しむことになるのではないかとの提案でした

花は早咲きの啓翁桜(良永啓太郎というお爺さんが作った桜)と、椿は太郎冠者。

広間の軸は銀椀裡に雪を盛る
ぎんわんりにゆきをもる。
書いたのは元妙心寺管長の倉内松堂。
銀椀のうちに雪を盛ると、椀と雪には明確な差がありながら区別がつかない。
難しい禅語の意味はまたあるのですが茶道を学ぶ上での心がけとしては以下のような捉え方でいいと思います。
芳賀幸四郎先生解説を貼っておきます。
茶席において、主と客とが独立した二つの人格でありながら不二となり、一つの如くでありながらしかも『和して同ぜず』で主客二つの人格とはたらいたら、せめて『銀椀裏に雪を盛る』の宗旨にかなう茶会というものであろう

※今回は炉頭に賓主無しと意味合いが近いので掛けましたが、銀椀裡に雪を盛る、の方は冷たく涼しい印象があるので夏のお茶会にも掛けるそうです。

こちらの椿は賀茂本阿弥。

蓋置は一閑人。
裏千家の先生にお借りしました。

菓子は王禅寺いずみ製。
銘は下萌え。

はちかりさんは新田さんの紅花紬に

絞りの帯。
初雪や猫の足跡梅の花🐾
季節ですねー。

私は雪に見立てたアラレ小紋に

手描友禅の先輩に差してもらった刺繍の帯。
このかたはもう亡くなりましたが絵の描ける刺繍家で、手描きも素晴らしかったです。

帰りは定番さか本。
サンマー麺と

五目中華。

先生、皆さん、お疲れ様でした。