
(2025年3月22日記録)
親愛なる皆様、こんばんは。シルバーバーチ霊団代表の John Brooks です。
さて、今日はまだお彼岸の最中で、明日の日曜日が春の彼岸の最終日ということになります。要するに、お彼岸が7日間あるわけです。春分の日をお中日として、前後3日間というのが決まりです。
一応、ここで、今回の話題とは異なる注意をひとつ申しあげておきたいと思います。昨今は、天候面で急に暑くなって熱中症のリスクが高まったり、急に具合が悪くなってしまう、というケースも多いので、命を大切にするという観点からも、最低限大人ふたりでお墓参りに行きましょう。これは、夏のお盆の時期に、特に言われていたことだと思いますが、普通の人は墓地の中に入ろうとは思いませんから、倒れても発見が遅くなってしまうということがあります。ですので、注意をしていただきたいと思っております。
特に○○霊園のような広いところでは、外から全く見えないので、発見が遅れる可能性が高いです。ですので、自分のスマートフォンの緊急時に押すボタンなどをまず調べておきましょう。そして、具合が悪いと思ったら、遠慮なく押して、救急の人を呼びましょう。

意識がはっきりしているのであれば、通常の救急車を呼ぶ119番で大丈夫です。お寺さんも始終見ているわけではありませんし、施設に管理人さんが常駐しているようなところであれば、発見してもらえる可能性は高まりますが、自分の身は自分で守るということをまず心掛けておきましょう。
そして、お水や麦茶など、飲みやすいものを必ず予備で持っていきましょう。これがあって、助けを待つ間に飲んでいるだけでも、だいぶ楽なはずです。
詳しいことは、掛かり付けの主治医や、熱中症についてのお話などをよく読んでおくとよいと思います。特に、今年も夏が猛暑であることが予想されております。よく注意してください。
また、お墓参りについてですが、最も適しているという時間帯がありまして、それは午前中です。つまり、その日故人のご供養を最優先にする、ということが、供養のうえで最も大切だという考え方があるからですね。何かのついでや後回しにしてはいけないことなので、きちんとスケジュールを組んでからいきましょう。

また、よく「お墓参りに行っていない」という方もいらっしゃいますが、心の中で故人を思いだし、手を合わせるだけでも、たとえ仏壇がなかったとしても、それだけで気持ちは届くものです。これは、日本という国の文化のひとつになっていますから、しっかりやっておきましょう。
また、墓石に水を掛けるかどうかは、地域や宗派などによって異なりますので、菩提寺のご住職さまや、霊園の方であれば霊園のスタッフさんに聞いてみるのもよいでしょう。
水を掛けることで、急激な温度変化が起こって、墓石が割れるという可能性もあるから禁止している、という決まりがあるところもあれば、お墓を清めるためにたっぷり水をかけてあげる方がよいという考え方もあります。いずれにしても、清らかな水を掛けることがマナーであり、汚れた水はいけません。
また、墓石は、自然の石から作られていますので、水以外のものをかけてしまうと、痛んでしまうので避けておいた方がよいでしょう。
もちろん、このブログを読んでいる皆さんは、既にご存じな方も多いかもしれませんが、一応今回は紹介させていただきました。
なんらかの参考になれば幸いです。

さて、今回の本題に入っていきますが、「どうやったら日々の生活の中で幸福感を感じることができるようになるか?」
よく昨今見られる言動では、「陰キャ」、「陽キャ」という言葉が日常的に使われていることに、わたしたちは危機感を持っています。こういった言葉ひとつで、その人の個性を表してしまうというのが、まず大きな問題点です。
また、幼い子供から大人まで、この言葉や似たような性質の言葉が広まっています。そこで、言葉の掛け違いから始まったものが、いじめや各種ハラスメントに発展していくことは、みなさんも想像が容易だと思います。
だからこそ、学校で何かあった場合、学校や教育委員会などは、真摯な態度が問われるわけです。なんでもかんでも、「いじめ」という言葉では片付けてはいけないと思っている人々も増えてきました。フラッシュバックを起こす方がいらっしゃるといけませんので、どういう事件だったとかそういうことは述べませんが、そういった事柄に関心があって、耐性がある方は、いまの子供たちが単純ないじめをしているわけではなく、知能犯的ないじめで相手を追い込み、その結果、相手の方が亡くなるということがあっても、反省もしませんし、被害者に泣いて詫びるわけでもありません。反省していないからです。
彼らは自分達が未成年だと言うことを大人より、よく知っています。今後こういう子供やもっと増えていくでしょう。子供とスマートフォンやPC、インターネットとの関わりを親や保護者、学校などが無責任に放置した結果です。今からでも間に合うので、改善策を考え、実行するべきでしょう。子供は、楽しいと自分が思うことには、大人が思う以上に貪欲なのです。
ここで、非常に大切な事を1つ申しあげておきますが、言葉というものは、時にはものすごい凶器になるということを、しっかり覚えておいてください。言葉で追い詰められ、病気になってしまったり、自らの死を選ぶケースも悲しい事ですが、あります。
人というものは、そんなに簡単に、一言で決められるものではありません。たった一言で、その言葉が刃となり、相手の心を深くえぐってしまうこともありますし、何気ない挨拶の言葉で明るい気持ちになれることもあります。
そこで今回は、そういった辺りの話をしていこうと思います。

一番最初に、もしかしたら一番難しいことを申し上げてしまうかもしれませんが、「自分自身のことを尊重し、卑下しない」ということをしっかり実行してください。
つまり、「自分は陰キャだから仕方がない」、「自分には無理」、「私は明るくないから」、とりあえず代表的なものを三つ挙げてみました。おそらく、男女問わず使う言葉ではないでしょうか。
これは、共通点がある言葉で、いわゆる自分を「自己評価」や「自己肯定感」そして「自尊心」といったとても大切なものを傷付けることなのです。「自分は○○だから」、この○○の部分を、たとえば社畜だから、と入れてしまうと、読んで字の如くですから非常に好ましくないものになります。
冗談でも言ってはいけない言葉、書いてはいけない言葉というものがあります。
なぜ、言葉がいけないのかは、皆さんご自身がその漢字に込められた意味がどういうことなのか、考えながら、どう言い換えたらポジティブなものになるのか、を考えてみてください。
なぜ、「自分は会社の仕事が好きだから」あるいは「仕事が好きだから頑張る」という言葉にならないのかも、あわせて考えてみてください。そこに問題点が潜んでいるはずです。

仕事というものは、人生の大半を占めるものになっていますが、自営業の人であれば、寝ているとき以外ほぼ仕事という人もいますし、逆にオン・オフをしっかりしている人もいます。この辺りもよく考えてみましょう。
まず、自分が誰かから言われて、嫌だなと思う言葉は、使わないようにしましょう。これが、言霊のよく通る国である日本においては、必須とも言ってよいものです。
また、スピリチュアル的に言い換えれば、「アファーメーション(Affirmation)」というものにも繋がってきます。
たとえば、「アファーメーション」は、大宇宙に向かって、高らかに、そしてポジティブに、自分がなりたいと思っている将来の自分像を宣言し、そのサポートをして欲しいと、いわゆる高次元の光のスピリットたちに真摯に祈り、宣言する行為です。

ですから、故ジャン・スピラーさんの「新月のソウルメイキング」(書籍版、Kindle版)という手法は、いままでいろいろなものを体系化した、非常に優れた手法なのです。ですから、そこには、ネガティブな自分からさよならするということは載っていても、ネガティブな自分で居続けるというような例文は無いのです。
これは実際に、書籍かKindle版を購入して、確認した方がよいでしょう。そうすれば、納得するはずです。
また、宇宙(あるいはソース(Source)といっても構いませんが)は、万能ではありますが、でも、努力をしない者に恩恵を与えることはありません。ありませんというより、出来ないと言ったほうがよいでしょうか。

これをちょっと簡単なたとえで説明してみますが、オーダーされてもいないのに、L サイズ3つのピザを、ドミノピザが届けてくれるということはないですから、つまり、”電話を掛ける”なり、あるいは ”アプリで注文する”といった実際の何かアクションがなければ、いかなる高次元の光のスピリットであっても、実際の努力が捉えられてなければ、チャンスを与えるためのきっかけがないので、実際に何も出来ないということになります。
もしここで、自分が何もしていないのに自分にはいいことが起きている、という方がいらっしゃったら、あなたは知らないうちに、きちんとアクションを起こしているというのがまず挙げられます。
また、これは、仏教的な考え方かもしれませんが、あなたのご先祖様がよいことをしたからよ、と言われる場合もあるでしょう。それでも、ご先祖様たちだって、努力をしない子孫には喝を入れてきますが、努力をしている子孫がいたら、「がんばれ、がんばれ!」と応援しているのです。そして、高次元の光のスピリットの手が差し伸べられるということもありえます。

「棚からぼたもち」という言葉がありますが、そこには、ぼたもちが欲しいという意図が顕在意識ないし潜在意識に、「棚からぼたもちが落ちてくる」ということがありますので、既に心の中でこういったことが起きて欲しいという本人の意図が働いています。
つまり、顕在意識か潜在意識のどちらか、あるいは両方で願ったわけですから、その人のもとにどこかからぼたもちが転がり込んでくる可能性が充分あるからです。
また、願ったということは、願いが大宇宙にもう届いているわけですから、「願って、現実にぼたもちが欲しいというアクションをする」、これがシンプルに言うと、『願いが叶う宇宙の規則のひとつ』です。
たとえば、何かをなくしてしまい、とても困っている人がいるとしましょう。家の中を家族総出で探しても見つからない、でも、その無くしたものはとても必要なものですから、高次元の光のスピリットに「神様、助けて!」や「神様、○○がないととても困るのです。助けてください。」と祈ったという場合を考えてみましょう。
これは、実際あった事例なので、結果をストレートにお伝えしますが、結果的に何度も探した場所からひょっこりと探していたものが見つかったのです。一人はミラクルと言いましたし、「神様、ありがとう。」ともう一人は祈りを捧げました。他の家族も喜んで、神様に感謝をしつつ、では、美味しいお菓子を神様と食べよう、という展開になったのを、わたしは見ていました。

わたしは、この話を霊媒に話してみたところ、「祈るという行為はやはりアクションですよね?」という言葉が返ってきました。まさに、この一言に尽きるのです。
では、「自分の毎日をどうやったらハッピーにすることができるか?」、それは、「どんな小さなことにも、感謝の気持ちを忘れない」、「それをもたらしてくれた人やあなたが信じる存在で構いませんが、高次元の光のスピリットに感謝する」ということが一番よいでしょう。

その点、日本の方は、神仏に祈るということをする方が多いですから、さらに良くなれる余地がある国だと、わたしは考えております。
ただ、そうは言っても、いろいろな人が集まっていますから、こういうことを話したり書いたりしたら、相手はどう思うか、自分はどう評価されるだろうか、それを考えてから、話したり、SNSなどに書くようにしましょう。そうすれば、いらぬ誤解もなく、お互いがお互いのことを思いやり、人々の心に余裕というものが生まれてきます。「心にゆとりが生まれる」ということは、「幸福感」につながってゆきます。
ここまで来ると、現実がだんだん変わり始めて、楽しいことばかりが起こったり、嫌な経験をしてもすぐさっと忘れてしまうことができるようになります。ここまで来れば、あとはもう怖いものはありません。
ただ、幸福の段階というのは、人間には計り知れないくらいの、多様な段階というのがあります。いま、幸福であることは大切ですが、いずれ、より高い幸福感を知るための経験を積むということも出てきます。それは、その人にとって、簡単なこともありますし、大変苦しいこともあります。しかし、その経験を糧にしてより高い幸福感に到達したときは、あなたはそれまでよりもずっと深い感情を持つことでしょう。それが、その人の進歩ともいえますし、ある意味、スピリットが大きな経験を得たということです。こうやってスピリットは、より高次元の学びであったり、より自らが光り輝けるような高みを目指していくのです。

たとえば、朝、美味しい飲み物を家族に淹れてあげた、そして、その家族からお礼を言われたあなたは、嬉しくなったと思います。こういった些細な、ごく普通の幸せこそが、幸運を呼んでくるきっかけのひとつなのです。
世の中の家庭で、揉め事ばかり多く常に不機嫌な家族ばかりの家庭と、いつも家族が本当に幸せで笑っている家庭がありますが、比較した場合、結果は言うまでもないでしょう。
お互いに信じ、愛し、楽しく暮らしている人々のほうが、周囲への感謝の心に溢れています。そして、「小さな幸せ」を見つけることが得意なのです。たとえば、育てている植物の芽が伸びたよ、ということで楽しくなったり、美味しいおやつがあるということで買って来たら、皆が喜んだり、「幸せ探し」が上手になると言ってもいいでしょう。
これにひきかえ、そうですね、たとえば、こんな願いなんて叶うわけがないと考えながら、神社仏閣に参詣しても、心は晴れないでしょう。ただ、場合によって、介入が入ることが起こり得ますので、助からないというのではなく、自分の思っていることをストレートに神仏にぶつけてみてください。
思いを神仏に言うことさえ苦しいのであれば、「助けてください。」のたった一言でもいいのです。
できれば、どういったことからどのように助けて欲しいのか、教えていただいた方が神仏は動きやすくなりますが、無くても別に構いません。どうしてと問われたら、やはり神仏ですからね、と申し上げておきます。
たとえば、家の中で、アル中で家族に迷惑ばかりかけている人がいたとしましょう。その方の健康を願う、あるいはアルコールと縁を切ってほしいと、神仏に家族が願っていたとしましょう。
例えば……突然、本人が断酒会に入ったり、あるいは、家族がしかるべき所に相談し、入院したり、いろいろな知識が分かり、その結果、本人が飲む量をコントロールすることができるようになった、あるいは、完全にアルコールと縁を切った、こういうことも起こり得るのです。
大切なのは、「どうして今こうなんだ、と言って嘆くことより、自分はこうなりたい、という高い理想や夢を掲げ、突き進むこと」です。その時の行動力というものは、困難であればあるほど、スピリットには経験値になりますし、非常に大きな力が働きます。そして、周囲の人々に勇気を与える行為ともなるでしょう。ですから、どんなときでも、神仏なんていないと思わず、困ったときは素直に助けを求めてみること、そして、折れない心を持つことです。

また、心が病気になってしまった、つまりうつ病などになってしまった方は、自分を責めないでください。
それは、あなたが悪いのではありません。
環境の場合もあれば、人間関係であったり、生育歴の問題が関わることもあります。こういった場合は、人間界の専門家である医師のもとにすみやかに向かってください。つまり、精神科医です。心療内科あるいは精神科、どちらでも精神科医ですから、自分と相性がよい医師に巡り会えることを祈りつつ、医者を探してみましょう。
医師との付き合い方のコツというのもありまして、まずは、相手を信頼することです。医者も人間ですから、信頼をしてもらわないと上手く処方などができません。その結果、適切な薬を処方出来ないということもあります。
また、場合によっては、公認心理士たちの力を借りるように、医師から助言を受けることもあるでしょう。まずは、自分のかかった医師を信じ、素直にやってみることです。おそらく、大抵の医師は、「まずは休みましょう」と言うはずです。
ここで、家族間に問題があるのであれば、それも相談してみましょう。そして、その時、心の中でこうつぶやいてください。「まだ世界は終わったわけじゃない。自分の病気は、絶対に治る。先生と二人三脚でがんばるんだ。」こんな感じの言葉でいいですから、思ってみましょう。これくらい考えられれば、回復は早いと思います。
日本では、まだ、精神の病に関する理解が非常に足りていませんが、大元を作っているのは行政ではなく、国民であるあなたがた一人一人です。(勿論理解が深い人々や地域もありますが)精神の病に関する理解が、うまくいけば、病になった一人を皆で支える、そして、その支えられた人が別の形で社会に貢献する、そういった流れが出来てくるでしょう。そして、その流れが政治をうごかしていくのです。自分の一票などと思わず、選挙権を持っている人は、必ず選挙に行きましょう。
最後は、なんだか選挙に行きましょうという堅い話になってしまいましたが、今夜は如何でしたでしょうか?
次に皆さまにお目にかかるのは、3月29日となります。早い地方では、桜の開花宣言がなされている頃でしょう。まだ、寒暖差が激しいので、暖かい服は手元に残しておきましょう。
では、また、次のサタデーナイトにお会いしましょう。
John Brooks
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