「福岡県」というキーワードが出て来てから怒涛の展開を迎えているのですが、更にそれは続いています。
紐解いていくには、「夢」と「歴史」の組み合わせが必要でした。
歴史といっても、戦国時代だとか平安時代だとか、そんな昔の歴史ではありません。生まれ変わるスピードが一般的にどれくらいのものかはさすがに知りませんが、我々は割と早いスピードで生まれ変わっているような気がして、それがまたちょっと現実的な数字だったりもするわけです。
幼い頃に、私は「繰り返し見る夢」というのがあって、現実の世界と夢の世界を勘違いするくらいはっきり覚えている夢がいくつかありました。
そのうちの一つに「赤い屋根の家」があります。
昭和っぽい感じのどこか懐かしい洋風のおうちで、庭があって、物干し竿と大きな木と、それから、ブランコがあるんです。
吐き出し窓からはウッドデッキのようなものが設置されており、昔っぽいわりには、かなりこじゃれた家に見えました。
家の中の詳しい間取りは覚えていないのですが、吐き出し窓からウッドデッキに出て、洗濯物を干している母に話しかけるシーンを、いつも繰り返し見ていたんです。
何を話しているかも、覚えてはいないんですけどねw
ただはっきりと「自分の家」という感覚があって、幼い頃「一度か二度、引っ越ししたことあったっけ?」と勘違いするほどでした。
繰り返し見た夢は多すぎて上手く説明できない夢も沢山たくさんあるのですが、今回はこの「赤い屋根の家」が私たちの過去世……いや、きっと「前世」に大きく関わっている可能性が浮上しました。
最初の点は、私の幼い頃の、この夢。
二つ目の点は……去年の夏だったかな。まだツインと初逢瀬を果たす前だったはずなんですけど。
彼女、私の家に遊びに来る夢を見たそうです。
その夢は、「私の両親に家の前で会った」「まな板の上に、キンギョのような魚が、立った状態で置かれていた」「それが晩御飯だって言ってたよ」という、なんとも面白おかしい夢でした。金魚は食べたくないな~と、その夢の話を聞いた時に二人で笑っていたのですが、それが二つ目の点になります。まさかこの金魚の夢が二つ目の点になるとは、正直思ってもいなかったのですが……。
点と点が繋がったのはつい先日のことです。
福岡県にある、とある教会の写真を見ていたのですが、この教会のお庭?が赤い屋根の家の庭によく似てるんだよね、という話を電話で相手に伝えていたんです。ついでに、その赤い屋根のお家の外観の話を詳しく説明したら、彼女が「それ、夢で見た記-シルシ-のお家と一緒」と言ったのです。
「屋根が赤くて、白い壁で、ウッドデッキ。昭和っぽいけど、当時にしてはかなりモダンなおうち」と。
彼女の言葉を聞いて、あの頃見ていた夢は、ただの夢ではなかったのかもしれない!って思えてすごく嬉しく思いました。
「自分の家だ」と思っていた家は、やっぱり間違いなく自分の家だったのかもしれません。
翌日、私は「福岡県 赤い屋根の家」で調べ物を始めました。
私と彼女の夢の記憶では、家の雰囲気は昭和初期っぽいんですよね。
なので「昭和」も付け加えて調べてみたんです。
すると、玄関の隣に洋館をくっつける「文化住宅」というのが、昭和時代から徐々に一般家庭に普及していったという歴史を知ることが出来ました。
確かに、ウッドデッキ(屋根は赤で、洋風)は玄関の隣にあったんですよね。
だけど、文化住宅をいくら調べても「ウッドデッキ」の情報はなく、今も残る文化住宅の写真を色々見てみても、ウッドデッキが付いているお家はなかったんです。
私の家は、もうなくなっている・・・。
もちろん調べて出て来るとは思ってもいないんですけど、ウッドデッキは一般的ではなかったのか……? 夢の情報はやっぱりただの夢なのか……。
そう思わないでもなかったけど、それでも昭和初期に、確かに私が夢で見たような家、文化住宅が一般家庭に普及していたのは確実な事実だったわけです。それだけで、十分な収穫。
そう思って一旦調べ物を終えたのですが、はた、と気付くわけです。
昭和初期の家だとしたら、途中で第二次世界大戦に巻き込まれてやいないか?と。
正直、歴史にめちゃくちゃ疎いので、第二次世界大戦が何年からどこで勃発し、いつ頃日本が加戦して、何年に日本が降伏したのかも、すんません、知らなかったわけです。
なので、まずはそれを調べました。
1945年(昭和20年)に終戦しているようですね。
原爆は広島と長崎に投下されていたはずだけど、福岡は何かあったのかな?と調べたところ、
同年の1945年6月19日~20日に「福岡大空襲」があったようです。
19日の深夜に200機を超える大型爆撃機が、二時間に渡って1500トンを超える焼夷弾を、博多の市街地に投下し続けたらしいのです。
想像を絶する地獄だったことは、バカな私でも容易に理解出来ます。
天神から博多の市街地は焼け野原となり、もちろんあの西公園だって大部分が焼失し、光雲神社もその被害にあいました。現在の神社は昭和41年に再建されたものらしいのです。
懐かしさを感じられないのは、記憶と違うからなのかもしれません。
でも、この大空襲から木造家屋が生き残れるわけがないので、そりゃ、いくら調べたって、ウッドデッキ付きの赤い屋根の文化住宅がヒットするわけがないですよね。
私、空襲で死んだのかな、と思い、ツインの相手に福岡大空襲の話をしたんです。
そしたら、彼女は「金魚の夢の時さ、玄関先で出会ったお母さんね、空を見上げてたんだよ。しかも飛行機が飛んでたの」と夢の話をしてくれて、「えぇ!?」となったわけです。
しかも、彼女はその夢とは別の日に、「記-シルシ-が死んじゃう夢を見た」という話もしてくれていたんです。
三つ目の点。彼女が見た、もう一つの夢。
その夢、彼女に抱きしめられながら、優しく笑って死んでいる私の夢らしいんですよね。
周りは真っ赤で、人の気配もしていて、色んなものが散乱している家屋の中。彼女は私を抱きしめながら「今度は平和な世界で」と言って、そこで夢が終わるらしいのです。
当時その話を聞いた時、「意味深だわ」「なんて悲しい夢なの」と言っていたのですが、彼女は「でもそこまで悲しい夢でもなかったんだよね~」と言っていて、「いや、悲しんでくれよ!」と思いつつも、死んでる私が微笑んでいた、って言っていたので、きっとなにか悲しくない理由があったのかもしれませんね。
でも、例えばこれが本当に福岡大空襲の時の記憶なのだとしたら、周りが赤いのも頷けるなぁ、と思いませんか?
私は煙を吸って死んでしまったのか、はたまた怪我だったのかは分かりませんが、彼女の予想では「その後、記-シルシ-を追うように自分もすぐ死んだんじゃないかな。夢の感じだと」と言っているのです。一緒に死ねる、という安心感というか、私の最期をちゃんと看取れたという安堵感というか、結局自分もこの後死ぬのが分かっているのなら、「寂しくない夢に感じた」という彼女の言葉の意味も、なんだかちょっと理解できるような……気がしなくもなく。
そういうわけで。
今の今まで散り散りだった点が、繋がって線になっていったわけです。まだまだ謎は多いし、点もいっぱい点在していて、それらはまだひと繋ぎにはなっていませんが、少しだけ、過去を……前世を垣間見たような気がします。
私は、ウッドデッキのある赤い屋根の文化住宅に住んでいて、福岡大空襲でツインの相手に抱きしめられながら息を引き取った。たぶん、きっと、確信はないけど、そうなのかもしれません。
私が彼女に膝枕して欲しい欲は、そこから来てるのかな?wwww
他にも、まだあるのですが……それはまた今度お話することにします。
前世を思い出した、という感覚は、正直全然ないのですが、1945年に二人して没していたのだとしたら、生まれ変わるまでにおよそ30~40年の歳月をかけていることになります。なんだか妙に数字がリアル~( *´艸`)と思いつつ、今日はこの辺で終わっておきます。
良かったら、また読みに来てくださいね!