備忘録 | ネコのつぶやき

ネコのつぶやき

家族、仕事、趣味、ネコの話し・・・のんびり、まったりとした時間をご一緒にどうぞ

Facebookに流れてきた記事を読んで泣きそうになりました。
ずっと心のどこかに引っかかったままで言語化できなかった気持ちを文章にしてくださってありがとうございます。

備忘録として、ここにも貼り付けておきます。

地球上のママ達へのエールです。
みんな、凄いんだよ。

みんな、頑張ってるんだよ。

 

 

赤いバラの花束

 

 

 

 

【家事よりもずっと大変なこと】
************
変わりゆく家族の時間に寄り添いながら、
自分の人生を生きていく
************
子どもが成長しても、家族の生活リズムが変わっても、
自分の仕事や生き方を続けていくこと。
それは、思っている以上に
“愛と柔軟さ”を要する日々の挑戦だと思う。


今朝、夫と息子が、
自分たちが担当している“ほんの少しの家事”について
あれこれ言い合っていた。
その様子を見ていたら、
思わず叫んでしまった。
「何年も私がひとりでやってきたことを、
たった数年、ほんの少し手伝っただけで、
ぐずぐず言うんじゃないよ!」
――と。


でも、少し時間が経ってから気づいたんです。
私が本当に怒っていたのは、
その言葉や態度そのものじゃなかった。
もっと深いところに、
積もり積もった“想い”があったんだって。


主婦の仕事は、終わりのない日常。
でも、いちばん大変なのは
ご飯づくりでも、掃除でもない。
「変わりゆく家族の時間に合わせながら、
自分の仕事と生き方を築いていくこと」。
それが、一番むずかしい。


幼稚園のお迎えに合わせて仕事を切り上げ、
習い事の送り迎えの前にご飯を作り置き。
夫の帰宅時間が変われば、夕飯の時間も変わる。


うちは転勤族だったから
引越しのたびに
学校も習い事も私の仕事も変わったので
それはもう変化の連続だった。


ママ友は
夜遅くなる塾帰りを迎えに行くために、
コンタクトを外さずに待っていてソファでうたた寝してしまう日もあると言う。


別のママ友は
部活の朝練に合わせて夜明け前に、
昼用と夕方用の二つの弁当を作ると言う。


子どもが進級すれば、
家を出る時間も、帰る時間も変わる。
その度に、母である自分の一日も変わる。
成長によって起こるそんな小さな調整を、
気づかれないところで繰り返していく。
まるで季節の変化に合わせて
自分の形を変えていく植物のように。


でも家族は、そんな努力にほとんど気づかない。
感謝されることも、ほとんどない。
それでも続けてこられたのは、
きっと“愛”があるからなんだと思う。


去年、息子が大学生になった。
兄の頃から数えて9年間、
毎朝のお弁当づくりを続けてきたけれど、
ようやく終わりにすると決めた。


「もうお母さん、お弁当づくりは卒業します」と。
次男は今、自分で弁当を作っている。
おかげで私は、
朝7時まで眠れるようになった。
それでも、最近は息子が早朝バイトを始めて
「夕飯は18〜19時に食べたい」と言い出した。
高校時代は21時過ぎだったのに。
だから、また夕飯の時間をずらした。
今まではフィットネスジムに行き、お風呂に入る時間だったのにな。
夜は20時からZoomがあるから後ろにはずらせない。
息子は朝も昼も自分で頑張ってるから、
夜くらいは合わせてあげよう。
って思って、今はあわせています。


家族の時間が変わっていくたびに、
自分の生活リズムを調整していく。
その中で仕事も、自分の生き方も続けていく。


それって、簡単そうで、
実はとても大きなエネルギーがいること。
きっと誰も気づかないけど、
私はここに書いておこうと思う。


私のように、
今日も家族を想いながら
自分の人生を頑張って生きているお母さんたちへ。
あなたも、ほんとうにすごい。
そして、私も。
暮らしの中の小さな“調整”こそ、
愛のかたちなのかもしれない。

 

 

 

 

彼女の記事にこれからも触れたくて、お会いしたことはありませんがお友達申請を送りました。
(私、Facebookは基本的にお会いした人しか申請しません。)

 

この続きの記事も貼り付けたいほどステキでした。

 

何だろね?

自分の事は後回しにして家族の予定を優先することが体に染みついてるのよね。
自分の事だけしていても良い生活って・・・イマイチ想像できないという悲しい自分がいます。

 

別に「ママ」というポジションが嫌なわけでも嫌いなわけでもないのだけれど。

ずっと積もり積もっていく声にならない、言葉にできないあれやこれやが積もりすぎて訳わからん状態になっててさ。

時々、ふっと「私って何やろ?」って考える時がある。

 

よー働く家政婦さんやで(笑)

ホンマに私がいなかったら、誰が何をしてくれるんやろね?

ちょっと何かを手伝ったら誇らしげに「してやった」自慢をされるのもしんどいもんよね。

私、あれした、これしたってイチイチ報告できへんしさ。

いいよね。報告できるような仕事しかしてない人って。

 

彼女は”愛”だと言ってくれるけど、私はひょっとしたら”惰性”かもしれないとふと思う。

今さら止められない悲しさかもしれない。