「今年は昭和100年にあたる年です!」
いつも聴いているFMから流れてきた言葉にビックリしました。
そうか・・・平成、令和と元号を重ねてきてはいるけど100年なのね。
とても感慨深く、100年という時間を思いました。
亡くなった父は大正14年生まれでしたから、生きていたら100歳です。
それを思ってシミジミしてしまいました。
生きていたら、「100年だぞ!すごいぞ!!」と大騒ぎしていただろうなぁ。
激動の時代を生き抜いた父も母も天国で「100年」をシミジミと噛みしめているかもしれません。
人生で一番楽しかったはずの10代を戦争でかき回された時代の人たちです。
戦争がなければ、どんな人生だったのでしょうか。
”人生に無駄なことは何もない”と亡き父は生前、サラリと言っていました。
戦争と言う最大の無駄を経験した人が言う言葉の重みを考えます。
私が子供の頃は年末はお正月の準備で大忙しで
私も除夜の鐘を聞きながら煮物の仕上げを手伝っていた記憶がありますよ。
今のようにレトルト食品があるわけでなく、冷凍のお節があるわけでもなく
全て、一から手作りのお節料理やその他のもてなし料理を祖母や母と一緒に作りました。
朝から晩までずっとキッチンに立ちっぱなしだったことしか覚えていません。
今の私よりもずっと若かった母がそれを全部、仕切っていたことに今さらながらに驚きます。
祖母に嫌味を言われながらも、自分は一切座ることなく走り回っていた母の姿を思い出します。
そんな時代だったんですよね・・・昭和。
おかあさん・・・
あなたは凄いよ。
ワタシにはとても真似できないよ。
誰も褒めてなかったよね。。。誰かねぎらってあげてよ。。。
おかあさん、頑張ったよね。
天国に向かって今さらですがつぶやきたくなりました。
今の私を天国から眺めている母はどう思っているのでしょうか・・・
ラクチンでごめんね。
そんな時代だったのですよ。昭和って。
今でも若干、その名残があったりすると必要以上にイラッとするのは拒絶反応の表れかと思われます。
嫁はこき使われる立場でしたね。
時代も違うので、何が良いとか、何が間違いとか、そんな問題でもないのですが。
唐突に当時の光景が思い出されて、少し切なくなりました。
母にはお正月はしんどかった思い出しかなかったかもしれません。
晩年の母は静かなお正月を誰よりも楽しんでいたのかもしれないと今頃気がつきます。
寂しいんじゃなくて、静かな時間を満喫したんだろうな。
父も母も自分の時代を精一杯に生きました。
今という時代に生きている私はどうなんだろ?
不満ばかり並べてみても何も変わりません。
父や母が過ごした戦争中に比べれば、食べる物もそれなりにあるし、空襲警報に怯えることもないし・・・十分に平和ですよね(不満はあるけど)
目の前の事象の何にフォーカスするかで自分の人生の輝き方は違ってくるんだろうなと思いました。
私の人生があとどれくらい残っているのか、知らんけど・・・楽しんで生きていきましょ!
年明け、1月の食堂開催に関しましては後日改めてお知らせいたします。
月に一度ではありますが、
いつもの笑顔に会えることを私達も楽しみにしています。
なかなか、ゆっくりとお話ができる状況ではありませんが
「こどもワクワク食堂」はみんなの居場所として活動を続けています。
相談事などありましたら、遠慮なく個人的にご連絡をください。
私の力は微々たるものですが、あらゆるところに連絡を取りまくって対処方法を探します。
自転車で走れる範囲ならばお米を積んで駆けつけますからねっ!!
ダイジョウブ!! 何とかなるから。何とかするから。一人で抱え込まないでくださいよ!
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