「過去をふり返ることは、将来に対する責任を担うことです。
広島を考えることは、核戦争を拒否することです。
広島を考えることは、平和に対しての責任をとることです。」
教皇ヨハネ・パウロ2世、広島『平和アピール』より。
75年前も今日のような夏空だったのでしょうか。
広島に原爆が落ちた日。。。。
父方の祖父は原爆で亡くなりました。
当時、海軍兵学校の生徒だった父は
祖父を探して広島の街を歩き回ったと聞きました。
終戦があと3日遅かったら・・・・
私は今、ここにはいません。
”回天”という人間魚雷があったことをご存知でしょうか。
大きな魚雷を中で人間が操縦できるようにして
そのまま敵艦に突っ込んでいく~というとんでもない作戦です。
父もこの回天に乗るはずでした。
乗らないままに終戦を迎えました。
多くを語らず父も亡くなりました。
生前、兵学校の卒業生が集まって本を出版したことがありまして。
その本の中に父の手記も掲載されています。
「錨のしずく」
美しい青色の表紙をめくるとそこには私の知らない青年の父がいました。
父の青春時代は戦争の真っただ中でした。
若かった父が何を思い、回天に乗ろうと思ったのか・・・
元気な時に聞いておけば良かったと悔やまれます。
75年前の広島の街で父は何を思ったのでしょうか。
何を見たのでしょうか。
あの日を生き延びてくれたから
今、私はこうして生きています。
父と母が戦争の中を生き抜いてくれたから
今の私の命があります。
そう思うと感謝の気持ちしかないのです。
生き抜いてくれてありがとうございます。
悔しかったと思うのですよ。
同期の友達がたくさん亡くなったのに自分は生き残ったのですから。
終戦の日、玉音放送を聞いた後に
親友と二人で浜辺からボートを出そうとしたと聞いたことがあります。
「行くぞ! あの沖にはまだ敵艦が停泊している!!」
ボートを漕いで行っても何もできないのに・・・・
悔しかったんでしょうね。
若かった父の無念を思います。
そんな悔しい、悲しい、辛い思いをした人が
たくさんおられたはずです。
戦争なんてもう嫌だ・・・ってみんな思ったはずです。
今の日本はどこに向いて行こうとしているのでしょうか。
コロナのどさくさに紛れて変なことを決めないでくださいね。
せっかく取り戻した平和を大切に守っていきましょうよ。
大きなことはわからないけれど
私達は子供達を兵隊にするために産んだのではありません。
8月6日は平和を祈る日です。
どこまでも広がる青空のように
穏かで平和な日々が続きますように。
あの日、突然お星様になったたくさんの魂に
今一度、平和な世界を誓います。
もう悲しい思いはしたくありません。